祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

帝都東京・魔法陣レクイエム物語

今日は都市伝説から始まる、ランドスケープなお話。

プロローグ

渋谷の西郷像(正しくはその連れている犬)が皇居の鬼門を守り、ハチ公が裏鬼門を守っている、というのはよく言われることのようで、昨今では「信じるか信じないかはあなた次第です」の人にも使われたようですが、上野と渋谷に鎮座する犬たちは単に「狛犬」というよりは、より広く邪気を払うもの(中国では地厭、あるいは犬牲と呼ばれる)として存在していると考えるのが妥当でしょう。(特に貴人が死んだ場合に死後の世界の案内人として犬が選ばれていたことに留意すべきです)

西郷隆盛の秘密

さて、ではなぜ上野にいるのが西郷隆盛でなければならないのか。逆に言えば、上野の犬はなぜ西郷隆盛を連れているのか。それはひとえに、西郷隆盛が「御霊」だったから、と言えるでしょう。 強い恨みを持って死んだ者、特に戦争や政争に敗れて非業の死を遂げた者の霊は強く祟るが、それを拝み祀れば強力な守り神となる、というのが御霊信仰のごく簡単な説明です。明治新政府と戦い、西南戦争に敗れて死んでいった西郷隆盛には御霊の素質があったと言えるでしょう。だからこそ上野に銅像を作って斎き祀り、皇居を守護する守り神としたのです。死後も「星になった」と言われるなど信仰を集めるだけの素地を持っていた西郷は特に御霊としてうってつけだった、と言えるでしょう。 上野は江戸時代から寛永寺が建てられるなど、鬼門の守りとして意識されていた土地でした。"東叡山"=東の比叡山の名を持つ寛永寺は仏教による幕府鎮護を目的として建立されています。 明治時代となって神道に基づく国家が形成されたときに、仏教での守りは相応しくないと考えられ、神道の思想である「御霊信仰」を基盤とした鬼門の守りが必要とされたのでしょう。

渋谷の御霊

さて、では、裏鬼門たる渋谷には犬に並ぶべき御霊はいないのでしょうか。 私の考えでは、ハチ公に並ぶ渋谷のもう一つの待ち合わせ場所である「モヤイ像」がその御霊なのです。 いったいモアイが何の霊なのか、と訝る向きもおられるでしょうが、モヤイというのはあくまでモアイをモデルとして作られたもので、モアイと同一ではありません。モヤイについては、そのものの歴史的バックボーンではなく、外見そのものにより深く着目すべきでしょう。そして、モヤイ像の大きな特徴が、両面に顔があること。

――バス停側とコインロッカー側で、2種類の顔を持つのも特徴となっている。
wikipedia モヤイ像「渋谷駅のモヤイ像」の項より)

これは恐らく、「両面宿儺」の姿であると考えられます。両面宿儺とは、上古の飛騨にいた怪人であり、朝廷に従わず、民から略奪していたため退治されたという伝承があります。おそらくまつろわぬ民と天皇を中心とする都の政治的・軍事的対立を象徴したものでしょう。この両面宿儺、頭の前後に顔が二つ付き、腕と足が四本、という姿をしていたとか。手足はともかくも、前後に顔が付いているという外見はモヤイ像と同一です。
彼はまつろわぬ者として退治されたという伝承がある一方で、飛騨・美濃では信仰の対象ともなっています。ここで注目したいのが飛騨という土地の位置。飛騨は当時の都である奈良、あるいは直後の都京都といった中央からは東北に位置します。これは後述のように、モヤイ=両面宿儺が渋谷の守りに選ばれた大きな理由なのです。

異邦人と犬

西郷隆盛と両面宿儺、どちらも戦争・政争に敗れた御霊であり、一方では信仰を集めていた=神として強い力を持つ存在であったと考えられます。また、それ以外にもこの二人が地方のまつろわぬ異民族であったことが共通点として挙げられます。実際に民族が異なるかどうかはともかく、薩摩隼人や化外の民であった彼らは、天皇中心の国家システムから外れているという意味で、単なる御霊より更に荒ぶる祟り神であると考えられるでしょう。なぜそのような恐ろしい霊を帝都の守りに据えようとしたのか。
実のところ、中央に逆らう異民族を逆に地方からの守り、あるいは聖域の守護に据えるという考えは中華文化圏には多く存在します。中国の歴史書「春秋左氏伝」には、四凶という地方の荒ぶる神を四方に追放し、それらに国に侵入する魑魅を禦がせたという記事があります。これは異民族とその神の力で別の異民族や目に見えぬ悪から中央を守った、という意味に他ならないでしょう。また中国で副葬品に用いられた鎮墓獣と呼ばれる焼き物は、獣の体に胡人の顔がついており、やはりこれも異民族に守りを任せています。前述のように犬は貴人の墓を守るものとされていますが、胡人らの異民族が犬と同じ祓除防御の役割を持つと考えられたことをここで見て取れます。
日本にも同様に異民族を守りに据える信仰は根付いています。それが端的に表れているのは、社寺の狛犬でしょう。狛犬は本来獅子と犬のセットであり、それぞれ唐獅子・狛犬=唐の獅子と高麗の犬と呼ばれます。どちらも異国の者、異民族を守りとする思想に依るのでしょう。
また先に挙げた隼人は宮門の警備を任され、犬吠えといって犬のような声を出して宮門を守護したとされています。異民族による守護は日本でも古くから根付いていたのです。
先ほどから犬(あるいは獣)と異民族が関係する伝承が多く挙がりますが、犬と異民族のセットには敵や邪悪を跳ね返す力、聖域を守る力があると思われていたのかもしれません。
さて、先述した疑問、何故渋谷の守りに他ならぬ両面宿儺を選んだのか。ここまでの回答に加えてもうひとつの理由、その一つはやはり上野の西郷像にあります。西郷隆盛は都の鬼門=北東を守る御霊。そして彼は西南戦争を起こしており、その出身も都のはるか西南です。一方で両面宿儺は裏鬼門=南西を守り、当時の都からは東北である飛騨にいました。
つまり、彼らは自らのいた方向から分断され、全く逆側の守りとされたのです。恐らく再び反逆者として自らの土地の持つ方角から力を得ぬよう、また所縁のない方向の魔と心おきなく戦えるよう、真逆に配置されたのでしょう。この場合の方向は物理的なものではなく象徴的なもの、つまり都との関係性を指すため、当時の都と現在の都の位置が変わったことはさほど大きな問題ではありません。

結界の意味

では。
なぜ両面宿儺=モヤイ像の設置は昭和55年になって行われたのか。
上野の西郷隆盛像が明治31年に造営され、ハチ公像の建立が昭和9年、一度戦争に供出されて再度の建立が昭和23年。西郷像からハチ公までの期間の長さも気になりますが、これは渋谷区が昭和7年に成立、人口が増えるとともに悪い気も溜まりやすく、あるいは流れ込みやすくなったと考えられたからでしょう。
戦争を経てすぐに再建されたハチ公に対し、モヤイの設置はその実に32年後。いったいその間に何があったのか、と考えた時、渋谷という土地およびモヤイの役割と絡めて考えると一つの答えが導き出せます。

ここまで書いてきたモヤイ(および西郷の御霊、そして犬たち)の役割を一言で言うなら、東京を邪気・悪魔から守ること。
モヤイを渋谷に設置した目的はまさにそこにあるのですが、東京を目に見えぬものから守っている呪術的有識者とでもいうべき人々は、一体何を恐れていたのか。
それは、昭和37年にある封印が解けてしまったことです。この封印が解けても恐らく最初のうちは世の中に大きな影響を与えることはなかったため、呪術的有識者も見過ごしていたのでしょう。しかし、それは後に大きな影響を及ぼした、その意味で彼らは遅きに失したと言えます。


勿体ぶるのはやめましょう。
昭和37年に解けたのはある悪魔の封印、それも10万年にわたる強力な封印でした。そしてやっとその脅威に気付いた呪術的有識者たちが両面宿儺を設置した時には既に悪魔は十分な力を蓄えており、設置の2年後の昭和57年、とうとう本格的な活動を始めます。
そう、モヤイが封じようとしていたのは地獄の都ビターバレー地区こと渋谷を出身地とする悪魔、デーモン小暮。現在の称号で言えばデーモン閣下です。帝都東京を守護する力がいかに強力であったにしても、10万年の封印を経て目覚めた閣下には無意味だったと言えるかもしれません。なぜなら両面宿儺の封印から19年後、西暦1999年12月31日に彼の率いる教団"聖飢魔II"は東京どころか地球を征服したと宣言しているのですから。


〜〜〜〜
2010.04.09追記

はい、そんなわけで毎年恒例第二回BANG節ネタでした。
まぁ、ここじゃ大体こういう与太ばっかり書いてるので、いつも通りという説も。

年始から文字化けが心配な中国妖怪・山魈の話

前置き、という名の御託

謹賀新年。
今年もあるのかないのかわからない程度に更新していければ、と思います。
御覧になっている皆様におかれましては、どうかお見限りなきよう。


さて。
年明け早々、中国に古来より伝わる「山魈」(さんしょう)という妖怪の話をしようかと思います。
例によって結論のない徒然・ダラダラトークですがご容赦。

「山魈」とは中国の南部で広く伝承される山中の妖怪です。「山の精」 とされ、山中に現れて人間と様々な交渉を持ち、しばしば独脚を特徴とする、そんな奴。山魈、山繅(さんそう)、山臊(さんそう)、山精、山鬼、あるいは山都、木客など様々な呼び方をされるようですが、一つの特徴でくくり出すとなると難しいので、いくつかの特徴の中から何点かを持っているもの、とした方がわかりやすいと思われます。*1

なぜこの時期山魈かと言うと、『荊楚歳時記』という中国最古の歳時記に
「正月一日、是三元之日也。謂之端月、雞鳴而起、先於庭前爆竹、燃草、以辟山魈悪鬼。」
正月には爆竹を鳴らして「山魈」を避けた、という記事が載っているためです。
正月に追い払うモノの話をわざわざ正月にする、というのも妙ですが、そこはそれ、来なければ追い出すこともままならない、ということで。

それともう一つ。
この山魈、虎と仲良しです。
旅人から贈り物をされた山魈が虎にその旅人を襲わないように命じたり*2 、逆に自分を妖鬼と呼んだ判官を虎に襲わせてたり*3 。それどころか、魔法でハエくらいの大きさの虎を作りだし(小さくして持ってただけかもしれませんが)、巨大化させて百人ばかり喰い殺させるというカプセル怪獣だかスーパー戦隊の敵幹部みたいなこともやっております*4。仲良し通り越して作れちゃうとかすごいですね。

そんなわけで、寅年の正月に相応しい、山魈のお話。縁起がいいやら悪いやら。

本題――山魈とシャーマン、ここもやっぱり御託

山魈はもともと、「越人」と呼ばれる中国南部の少数民族達の伝承だったようです*5。山神であり、一方で「祝」、つまり神を祀るシャーマンの先祖ともされました。シャーマンの先祖としては山魈ではなく「冶鳥」(やちょう)と呼ばれる鳥です*6
冶鳥=山魈と伝承の中ではっきり同定しているわけではないのですが、山魈と共通する特徴が多数であること、伝承地域が越と重なっていることからほぼ確実と思われます。例えば、冶鳥は夜中人の形に化けて蟹を取り、(主に人間の熾した)火で炙って食ったりします。これは山魈にも良く見られる特徴です。なぜか蟹好き。また上記の「虎と仲良し」*7とか、やたら精巧な巣を作る*8 というのも共通の特徴です。
「越人好巫」「楚人好巫」などと呼ばれるように、越や楚といった江南地域の人々はシャーマニックなことに傾倒する民族とみられていたようです。畏怖すべき猛獣である虎を従える鳥、冶鳥(山魈)を祖先とした越のシャーマンたちは、民族の中でも高い権威を保っていたことでしょう。


で。
この山魈さんが一本足である理由というのが、おそらくシャーマンと山魈の関係性に依るのではないか、というのが今回の本題その1。
一本足の理由説明としては、東洋史学者である貝塚茂樹が「夔(キと読み、一本足の神。山魈と同一視されることも多い)は鍛冶の部族の守護神であり、その奴隷は片足が不自由であった(もしくは枷などで不自由にさせられた)ため、その姿から着想された」という説を唱えている*9一方、同じく東洋史学者である桐本東太は一本足が樹木の幹からのアナロジーであるとしています*10。それぞれ論拠はあるのですが、貝塚説は金属民と山魈を結び付ける資料がない、 桐本説は樹木と山魈についての関係性に疑問が残る、という点で問題が残ります。あまり書くと本論から脱輪するため、詳細は省きますが。
ともあれ、そこで一本足にはシャーマンが関わってくるのではないか、というのが私の考えです。
現代の観察事例ですが、華南及び東南アジアの山地焼畑民が神を祀る舞踏の中に、司祭者(≒シャーマンであったと考えられる)が片足で跳び回るものが数多くあるようです*11。越も古来よりそうした儀礼を持っていると考えると、山魈の足の説明がつきます。
大地を片足で踏みしめたり叩いたりするのは、土地の霊を鎮める、あるいは大地を身ごもらせる仕草として豊作を祈るなどの効果が期待されることが多いようですが、そうした本来の効果はさておき、先祖が山神であり、霊と交流するとされているシャーマンが片足で跳んでいる姿を見た者は、たとえば先祖の山神が乗り移った姿をそこに見たのではないでしょうか。*12


と。
そんな感じで越とシャーマンと山魈は古くは3,4世紀ごろから切っても切れない仲だったようなわけですが。
12世紀初頭、北宋が滅びて南宋になったのに合わせ、大量の漢民族が南の方に雪崩れ込んできました。政治的説明は略。
それと同時期、山魈にも大きな変化が起こります。
これまで少数民族の神(漢民族にとっては妖怪)であった山魈が、五通神という名前で漢民族にまで信仰されるようになるのです*13。この変化の裏に先に挙げた越のシャーマンがいたのではないか、というのが今回の本題その2。
正確には、「山魈」は変わらず妖怪として扱われ*14、「五通神」はしばしば一本足の神として江南に登場するものの、山とも虎とも関係なく、女性をナニしたりする好色な神格、また敬わないものには激しい罰を、拝み祀ると富をもたらす神格として立ち現れます。この五通神、山魈とほとんど共通要素がないじゃないか、と思われるかもしれませんが、時の記録類では五通神がすなわち山魈である、と書かれており、少なくとも当時の人は違和感なく山魈=五通神と理解していたようです。
こうした妖しい神は時の政府によってしばしば弾圧されますが、霊威の強い神は民衆によって支持され、大いに流行します。そして妖しい神が庶民の間で流行する背景として、「巫」、つまりシャーマンが大量に出現し、そうした神を広めたことが挙げられています。この「巫」は、山魈の子孫を自称していた越のシャーマンと同じものを指すのではないでしょうか。

漢民族流入に伴い、越族が本来住んでいた山がちな土地も都市化され、越のシャーマンも安穏と暮らしているわけにはいかなくなりました。そこで、漢民族の需要・都市化している現状に合わせて、霊威として金銭的な面や祟りを強調し、山神や虎といった要素を切り捨て、五通神という形で漢民族に信仰するよう働きかけます。漢民族従来の信仰の衰退もあり、霊威溢れる神は熱心に信仰されるようになりました。
……というのが予想しうるストーリー。
そういう背景があったため、山魈などという少数民族の神格(漢民族にとっては妖怪)が元となった神が広く信仰されたのでしょう。共通点のさほど多くない“山の妖怪:山魈”と“霊威の強い流行神:五通神”が同類と自然に理解されたのも、その伝承を中心となって支えた人間が同じ越のシャーマンであったためと考えられます。
ちなみに、現代においてこれらは再び習合し、民話の中で「山魈」と「五通」が相互に置換可能なものとして記録されています。これも山魈=五通神の傍証と言えるのではないでしょうか。

あ。
またも長くなって結局何が言いたいかわからなくなりましたが。
1:越のシャーマンが山魈伝承の媒介者であり、山魈が一本足なのはその影響と思われる
2:時代が下って山魈が変質して五通神を生み出すが、その背景には越のシャーマンが関わり、漢民族という新たな信仰の担い手に合わせて神の性格を変化させたと思われる

と、要はそういういうことです。
時代に伴った民族の動き、あるいは信仰の媒介者と担い手によって妖怪がダイナミックに変化していくんだ、という一例として挙げてみたのですが、いかがでしたでしょうか?
いやぁ、妖怪って本当にいいものですね。それでは、さよなら、さよなら、さよなら。

おまけ

ついでに、日本の妖怪との関係についても一言。
一本足で山の神・あるいは妖怪と言えば、日本にも一本だたら、一つ目小僧、山爺といったものが伝わっています。この辺りについては柳田國男「一目小僧その他」参照のこと。
一本足、山の神/妖怪以外にも、特定の時期に山から地上へ降りてくるという点、山の神が田の神になるという日本の信仰に対し、山魈が耕作を手伝った話があることなど、類似点は多数あり、おそらく山魈の伝承が日本のそれらに大きな影響を与えたと思われます。
ただ一方で、中国の伝承を単純に移植したわけでもないようです。日本の一本足どもは多く一つ目の特徴も兼ねているのですが、山魈の方はあまりそんなこともなく。
そのため、柳田國男の「一つ目一本足の山の神/妖怪は、神に捧げる生贄の人間の片目片足を損傷した姿から来たのだ」説や、谷川健一の「一つ目一本足の山の神/妖怪は、山中在住の製鉄民が長年炉の中見て片目がやられ、長年蹈鞴を踏んで片足がやられた姿から来たのだ」説を無批判に中国の山魈に敷衍するわけにはいかないようです。ちなみに、片目片足が金属民と関係ある、というのは柳田も指摘するところではあるのですが、物理的要因ではなく、信仰に帰しています。そうした金属民説に関しては、山魈と金属を結び付ける伝承が見当たらないことも傍証として挙げられるでしょう。

*1:そんな曖昧な、と思われるかもしれませんが、河童の仲間なんかも同じようなくくり方で理解をすることが多いです。皿があってもなくても相撲とってもとらなくても河童。

*2:『太平広記』巻第四百二十八『広異記』「斑子」

*3:『太平広記』巻第四百二十八『広異記』「劉薦」

*4:『太平広記』巻第三百六十一『会昌解頤録』「元自虚」

*5:ちなみに越という単一の民族と言うよりも、越の国近辺に在住していた少数民族の総称、と考えた方がいいでしょう。今後はとりあえず越族とでも表記してみます

*6:『捜神記』巻十二「冶鳥」

*7:前掲「冶鳥」に、冶鳥が住む木を虎が一晩中見張り、人間が立ち去らないと傷害を受ける、という条あり

*8:前掲「冶鳥」だけでなく、『太平広記』巻第四百八十二『洽聞記』「木客」や『太平広記』巻第三百二十四『南康記』「山都」などに、それぞれ作りは違えど精巧な巣の描写が。山魈の古称である山繅・山臊(どちらもサンソウ)のソウは発音から来る当て字で、本来は巣を表していたのではないかと思われる。

*9:貝塚茂樹「神々の誕生」(『貝塚茂樹著作集 第五巻』中央公論社,1976)

*10:桐本東太「山中の独脚鬼に関する一考察――日中の比較」(『中国古代の民俗と文化』,2004)

*11:越国は華南というよりも華東ですが、山魈の伝承分布は中国南部の広域にわたっていること、越族それ自体は東南アジアであるベトナムまで移動した、とされることから、越と言う国のくくりよりも、越近辺に在住していた少数民族というくくりで考えるべきでしょう。

*12:社会人類学者の竹村卓二や写真家・研究家である萩原秀三郎も山魈や夔と片足跳びの関係について考察していますが、一本足の神の姿を模して片足跳びの儀式が発生した、と、ちょうど逆の見解を示しています。

*13:この辺りは南宋に書かれた『夷堅志』参照のこと。「江南木客」「孔勞蟲」など。

*14:記録類はほとんどが漢民族の手になるものであり、それ以前も大体の記録では神と言うより妖怪として扱われています

第二回電奇梵唄会に参加したという話をまとめないのとほぼ同じ

土曜深夜から新宿地下でwebアニメ的な何かを語るイベントに出てきました。

護法少女ソワカちゃん第二回電奇梵唄会
「如是我聞 核的窮理 はくちょう座X-1」
http://bombaye2.s-dog.net/

【会場】新宿ロフトプラスワン
【出演】kihirohito、伊藤剛 他
【開催日】2009.6.13(土)
【開場時間】24:00
【開演時間】24:30

護法少女ソワカちゃん」を知らない方は
http://www.nicovideo.jp/mylist/3633617#at_a
を上から順に見てみるといいんじゃないかしら。

各所の元ネタを知りたくなったら
http://sowaka.s-dog.net/


ロフトプラスワンでオールナイトイベントと言えばアレですよ奥さん、いまは亡き妖・怪談義ですよ。*1まさか妖怪ネタを聞いてニヤニヤしていた場所で、自分が壇上に上がることになるとは。しかも妖怪以外で。

そんな感慨を胸に抱きつつ、出演してきました。ここまでのあらすじやイベント全体について語り始めると際限がないので、ひとまずは当日の感想など。*2
詳しい内容は上記公式サイトのプログラム概要に譲りますが、宗教やらキャラ/キャラクター論やら80年代風味の趣味やらで読み解こうぜ!という素敵かつ無謀な企画。
私の仕事はトークの進行とタイムキーパーでした。溢れんばかりの知と愛でソワカちゃんについて語り続ける面々を押し留め、話題を先に流すお仕事。

メイン登壇者は
さくしゃさんことkihirohitoさん
テヅカ・イズ・デッド伊藤剛さん(id:goito-mineral)
必殺まとめ人ことsalty dogさん
monadoの方から来た奴monadoさん(id:leibniz)
宗教社会心理伊達男trickenさん(id:gginc)

ゲスト登壇者は
謎のアレンジャー礒村英司さん
サブカルの凄い人宇田川岳夫さん


……この濃ゆい面子相手にいったい何をどうしろと!?
とか言いつつ「ライトなファンだし」「小難しい話は小難しい人に任せよう」と開き直って好き勝手やってきました。
一番多く言ったセリフが「時間も押してますので」という血も涙もないぶった切りっぷりでしたが、楽しかったです。*3登壇者に「残り30秒でよろしく」「25秒でまとめて」と言ったら本当にやってくれたので感動しました。
壇上では自分が出来ることを出来る限りやったつもりです。gdgd進行とか、仕切りが魅力を削いでいたと思われた方がおられたら、手抜きとかではなく偏に私の能力不足です。申し訳ありません。

ちなみに壇上ではコスプレ強制だったので、私は「霊界ラヂオショー」の最後に出てくる狐面の男のコス。
D
進行役は登壇者と観客の橋渡しであるがゆえ、狐の仮面をかぶって境界的存在となったのだ、という適当な嘘をついてみたりする。ディスコミでもつげ義春でも鳥山明でも。ちょっと丸尾末広風味と言えない事もないですね。しかし、kihirohito作の動画中でも上位に入る再生数の低さで誰がわかるんだ、という感じですが、まぁ色々思い入れがあるので良いことにする。わかってくれる人もいたようですし。

で、今回思ったことのまとめ。
誤解を承知で極論すれば、今回のトークには緻密な論理の着地点など不要だったのではないかと。 構成上濃ゆいテーマを6つも詰め込んでいるのに、それが動画上映込み3時間で終わるわけがない、というのは当初から言われていました。
学術発表でも何でもないトークショーなのだから、今回はお客さんに楽しんでいただくことが一番。その上で、今回の眼目は「「語って楽しい」ソワカちゃんの魅力を知っていただけたら」*4ということなので、語り足りなそう、あるいは聞き足りないという感想はある意味ひそかに期待していた通りでした。それはつまり、聞いて頂いた皆様にソワカちゃんを小難しく語る快楽や、まだいくらでも語る余地があることを(再)認識してもらえたことを指していると考えるからです。
この第二回電奇梵唄会の続きを(反論も含めて)各人の心の中や身内やネットで開催してくれれば、トーク登壇者の一人としては嬉しい限りです。


「徹夜でソワカちゃんを小難しく語る」という狭っ苦しい門を入らねばならないにもかかわらず、お客さん(中継見て下さった方々も含め)が皆暖かく見守って頂けたことは、何よりありがたかったです。イベントの頭では「物好きな」なんて言い方をしましたが、本当に感謝しています。

それと、内向きな感想になるのは本意ではないので一言だけに留めますが、運営の皆様ありがとう。

梵唄会に関わった皆様一人一人が楽しんで頂けたなら、そしてその楽しみに自分が少しでも寄与していたなら、望外の喜びです。


おまけ
第二回電奇梵唄会は信者からソワカちゃんへの「徹夜で書いたラブレター」だったんじゃなかろうか、と今になって思う。愛がほとばしってて恥ずかしい、いい思い出ですね。そんなこと言ってるこの日記も梵唄会への「徹夜で書いたラブレター」かもしれない。

*1:もしかしたらイベント続いてるのかもですが。

*2:経緯等については要望があればまたいつか。

*3:伊藤先生に「彼はラカン的だね」と言われました。暴力的にセッション(トーク)を切断するという意味の由。

*4:イベント発起人挨拶より

室井恭蘭「妖魅本草録」を読んだらしい、と言う話

室井恭蘭「妖魅本草録」(土耳玄書院、昭和31年)

先日、あの室井恭蘭の本を読むことが出来たので喜びの余り更新。
某図書館の書庫にある、郷土史家の旧蔵書コレクションの中にさりげなくひっそりと入っていました。
見つけた時は思わず変な声が出ました。別の調べ物で地下書庫に潜っていたのですが、本題をそっちのけにして読み耽ってしまいました。昼過ぎから閉館時間までメモを取りまくったものの、当然ながらすべてを記録することはできなかったのが残念、しかも出張先での休日の出来事だったので借りることも翌日再訪もできなかったのが更に残念でした。

……「あの」といっても、室井恭蘭は一部の好事家を除いてあまり有名でないと思われます(何せ広辞苑はおろか、天下のwikipediaにすら項目がないほどですし)。

室井恭蘭は、伝説の収集で知られた江戸後期の国学者であり、いくつもの著書を残しています。特に自らの出身地であった信濃地方の伝説・伝承に関しては、当時一、ニを争うほどの知識を誇っていたようです。*1
しかし、恭蘭はもともと精神的に危うい所があったらしく、伝説に傾倒するあまり精神の平衡を失い狂死したと伝えられています。
こうした最期を遂げたためか、はたまた特に晩年の著作については内容が余りに狂気めいているためか、恭蘭の著書についても長い間発禁、あるいは自主規制という扱いを受けてきました。
そのため、恭蘭は普通の人には忘れられた学者であり、一方長野の伝承などに興味のある好事家にとっては、彼の本は名のみ知られているものの内容については知るもののほとんどいない、それ自体が伝説のような本だったようです。

そんな恭蘭の著書のうち、比較的見つけやすいのが、今回取り上げた「妖魅本草録」。
原本は文政3(1820)年出版ですが、土耳玄書院から昭和31年に復刊されています。学者でない好事家をも対象とした一般向けを意識しての復刻だったため、かなり読みやすく改められているようです。しかし少部数しか刷られていないこと、現在は出版社が存在せず、この本自体も国会図書館にも所蔵されていないことなどから、読むことはかなり困難。原本はそれに輪をかけて入手困難であることを考えると、古書店などで見たら迷わず購入するのがオススメです。このレベルで「比較的手に入りやすい」となってしまうのが恭蘭の恐ろしいところです。恭蘭晩年の著作である「信濃秘志」などは、復刻は当然存在せず、原本も2冊ほどしか現存しないとのこと。

……と、この辺りまでは8割がた「序」と「解説」からの情報でした。

この本は一言で言えば「絵入りの怪しい博物事典」。
「和漢三才図会」や「本草綱目」のような本草書の体裁をとっており、鳥獣部・虫魚部・草木部・金石部の四部構成で、各項目の中で80、計320の事物を紹介しています。文体は漢字カナ混じりの平易かつ簡潔なもので*2、各項目には素朴な線画が添えられています。
この本で特徴的なのはそれら全てがあまり知られていないような事物であるか、あるいは有名な生き物などであっても奇妙な説明が付けられていること。まさに「妖魅本草録」というタイトルに相応しいと言えます。ちなみに「妖魅本草録」というタイトルは、交流があった平田篤胤の「古今妖魅考」を意識したようです。

こうした事物や解説は恭蘭個人の創作というわけでもなく、珍しい事物や俗信を図鑑的に拾い上げたものなのではないかと思われます。例えば鳥獣部の"鶉土竜"や虫魚部の"腐艸螢"などは七十二候の俗信*3が実在することの証明として紹介されていますし、金石部の"子泣石"はおそらく小夜の中山の夜泣き石*4と同じものだと思われます。
興味深いのは草木部の"薬缶蔓"。ヤカンズルあるいはヤカンヅルというのは木の上から薬缶が下がってくるという妖怪*5ですが、恭蘭は人が通ると下がってくる蔓性の植物として記録しています。名前からの連想か、はたまたそう言う伝承があったのか、気になるところです。

このように該当する伝説や俗信がわかりやすいものもある一方で、"掴踵石"、"月羽虫"、"立歩魚"、"弾鶏"、"人似草"など他に類例を思いつかないような項目も多見されます。恭蘭がこれらの知識をどこで得たのか、またこれらがどこに伝承されているものなのか、ほとんど書き記されていないのが惜しまれますが、貴重な資料であることには変わりないと思われます。*6

と、手に入れた本の感想をとりとめなく勢いに任せて書いてきましたが、多少まとめめいたことを書いておこうかなと思って書いてみることにします。

「妖魅本草録」は本草学(博物学)の<全てのものを収集・命名・解説・分類・陳列する>といった目的を、怪しいものだけを対象に行ったものだと言えるでしょう。*7本草書のうち対象が細分化されたものと見ることが出来る一方で、怪しいものの絵と説明をひとつひとつ羅列していくという様式は、妖怪という視点から考えるならば、鳥山石燕画図百鬼夜行」(1776)*8や桃山人「絵本百物語」(1841)*9の妖怪図鑑の流れの近くに位置づけることが出来るのではないか、と考えています。絵が中心の図鑑と絵が添えものの絵入り事典を単純に比べるわけにはいきませんが、絵を見せるのが主目的であっただろう石燕からそれぞれの妖怪絵に長い物語が付属した桃山人の間に、「妖魅本草録」や同様の書物が影響を与えていると仮定するのはあながち無理な話とも言えないのではないでしょうか。

こうした他との比較もさることながら、「妖魅本草録」を特徴づけているのは先に挙げたように類例のない珍しい事物の列挙、そしてもう一つは、書き手の本気らしさ。「実見セリ」という言葉が何度も使われていること、具体的な事実としての記述等、単なる伝承ではなくあくまで実在する事物として書かれているため、存在しないことが分かっていても読みながらリアルさを感じていました。先述の「画図百鬼夜行」や「絵本百物語」があくまで架空であることを共有前提にしていたのとは対照的に、「妖魅本草録」は各項目が実在する事物であることを強調してやみません。これは本草書という体裁であること、著者が学者であること、何よりも著者個人の資質によるものなのではないかと。

わかりづらいのでもっとまとめめいたことを書きますと。

「妖魅本草録」面白かったです。
でも皆様が面白いかどうかは保証の限りではありません。
でも面白いよ。

という話。これを言うために長く書きすぎですね。

【余談】
ちなみにあの漫画家諸星大二郎の作品でもこの本が元と思しきネタがいくつかあり、諸星先生のアンテナの高さには感心させられることしきりです。


〜〜〜追記〜〜〜

昨年、今度は入り浸ってメモ魔としてメモりまくろうと思い、某地方の図書館に電話したのですが電話が通じず。
調べてみたところ、台風で図書館が土石流に埋もれて半壊状態になってしまったのだとか。
資料はほとんどがなくなるかダメになってしまったという話。
図書館の作りからして、多分書庫もダメだったのでしょう……。
しかし、機会があれば確認に行きたいとは思います。

*1:ちなみに『信濃奇勝録』の井出道貞が並び称されていたとのこと。

*2:復刻ではそうなっていた、と言うだけで、原本が仮名交じりか漢文かは残念ながらわかりませんが。

*3:この辺り参照。清明次候の「田鼠化為〓(如の下に鳥)」と芒種次候あるいは大暑初候の「腐草為蛍」ですね

*4:この辺り参照。

*5:鬼太郎ではなぜか何でも吸いこむ妖怪として描かれていたので、そっちで覚えてらっしゃる方も多そうです。

*6:そのうちこれらの項目のうち特に面白そうなものでblog記事を書きたいところですが、関連するものを探すのが大変そうな気がします。

*7:この辺り、以前この記事の註8辺りで少しだけ書いた「妖怪図鑑的なものへの欲望」=わけのわからないものを収集・命名・分類・一覧化etcしたいという欲望と絡めて語りたいのですが、まだうまくまとまっていないので割愛。

*8:鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

*9:桃山人夜話―絵本百物語 (角川ソフィア文庫)

世はなべて天狗の仕業

といってもアレでアレなアレではなく。妖怪の方。
至極大雑把に言えば「山の中で何か起こったらそれは天狗の仕業」なわけです、というお話をしようかと思います。

もちろんそれで天狗さんの全てが説明できるはずもなく、
「仏教の敵」とか「いやいや仏教の味方」*1とか、「空を飛ぶぜ」とか「実はルシファーですが?」とか「正体は役小角だし」*2とか、まぁ天狗の要素は色々あるわけですが、最大公約数でざっくりまとめたと思っていただきたく。詳しく知りたい方は知切光歳*3でも読むといいんじゃないか、という事で。

ではなぜ山の中での怪現象が天狗の仕業なのか。
言い方を変えれば誰が何故そのようにジャッジしたのか。

民衆の集合知だか集合的無意識だかが全国津々浦々の山々に天狗と呼ばれる妖怪を生み出したのだ、ということになると美しいのですが、天狗なんて明らかに漢語由来の小難しげな、なおかつ字面と音韻だけでは「山」を微塵も連想させない単語が日本各地の山村で同時多発するわけもなく。
まず各共同体に天狗という言葉、天狗の性質を定着させた人間がおり、それが次第にコミュニティ内で共有される知識となったのではないか、と考える方が妥当なのではないかと。

ここで考えてみたいのが、以前の記事*4で少し触れた「村の古老システム」。

※村の古老システムとは?
怪奇現象に対し、ある種の権威者が現象の主体を判断・特定することで、
その主体が規定される、というシステム。
命名:俺

ここまでの流れに即して譬えるならば、村で一番知識を持っている(と信じられている)人間が山での怪奇現象に対して「それは天狗の仕業じゃ!」と言えば、村の人間は“テング”なる存在がその現象を起こしたと「理解」する。

というような共同体内のシステムを指しています。

天狗に限らず妖怪一般の成立に関しては、こうしたシステムの存在が大きいんじゃないかと思ったりしています。
ある妖怪が成立するためには、怪奇現象の発生だけでなく、それを誰かが解釈して「妖怪の仕業」と判断すること、そしてその解釈が受け入れられることが必要と言えるでしょう。
解釈をするためには知識の蓄積が、それが受け入れられるためには共同体内部での信用が不可欠。そうした前提を備えた人間が、たとえば村であれば一番の年長者であるというパターンというのはいかにもありそうな話ということで、村の古老システムと命名してみたわけです。

天狗に話を戻すならば、「天狗」についての知識は自然に降って来るものではない訳で、外部の人間の話、もしくは書物などのメディアによってもたらされるという場合がほとんどであると思われます。
そうした時に、本を購入して内容を理解するだけの、あるいは外部からの人間を受け入れるだけの金銭的余裕、インテリジェンス、あるいは権威・権力のある人間が、システムで言う「村の古老」として(実年齢等とは必ずしも関係なく)機能し易いということになります。

上記のような条件を持つ人間が、外部からの最新知識(それが旅の僧侶*5の話であれ、文化的中心で出版された本であれ)で怪現象に対して判断を行えば、それが共同体で受容される可能性は非常に高いでしょう。村の古老による判断が繰り返されればその判断は定着し、以降は同様の現象に対して前例と同じ判断が共同体から下されることとなります。
具体的には山で何かが起こるたびに古老が「天狗の仕業じゃ」と言い続ければ、山で何か起これば天狗の仕業、という通念が共同体内で成立し、山での怪奇現象に対して古老を通さずとも天狗の仕業と判断できるようになります。

と、このように「天狗」などという若干小難しげな妖怪なんかが村の古老システムによって地方の共同体に定着していったのではないだろうか、というお話なのでした。

ここまで天狗をダシにして「村の古老システム」について語ってきましたが、このシステムは必ずしも先に挙げたように中心→周縁に限った話ではなく、もう少し広い事例を指せるのではないかと思います。
たとえば、ずいぶん以前の記事*6に書いた、中国の天人相関説及びそれを日本に持ってきた時の解釈機構。

時の政治が悪いと天がそれを感じて警告として災害を起こしたり謎の動物を出現させたりする、という考え方があり、何か起こった時に為政者の何が悪かったかを占い等で解釈する機構が律令国家には配備されていた。

というのがそのごく大雑把な内容ですが、占い等の専門技術を持った人間(=ある種の権威者)が、災害、あるいは怪異の原因を判断することで国家の怪異に対する解釈が決定される、という意味ではこれも一種の村の古老システムと呼んでいいのではないかと。

また、みたび天狗の話に戻るならば、『日本書紀』の僧旻*7が音を立てて流れる星を見て「あれは流星じゃない、天狗じゃ」的なことを言ったという記述が日本における「天狗」という記述の最古だと言われています。のちの天狗とはあまり関係なさそうな話ではありますが。
もともと「天狗」というのは中国の妖怪的なものである、というのは一部には有名な話です。『史記』や『漢書』に見られる、でかい音を立てて光りながら空をかける巨大ワンコ。

中国帰りのインテリゲンチアであり、仏教だけでなく先に書いたような中国思想にも詳しい僧旻が音を立てて流れる星を天狗と解釈・判断したことで、天狗という言葉が日本に輸入され、(本来指したものとは違う形で)定着し始める。
日本の天狗は始まりからして村の古老システムに則ったものであったと言えるのではないか、と思います。


……と、きれいに締めようと思ったのですが、なんというか半端に食い足りない感のある文章になってしまいました。結局天狗さんは何者なのか、ということはなるべく触れずにシステムの方を考えて来たのですが、どうもその辺りが原因の模様。それなら何も天狗である必然性がないじゃん、という。システムについてもまだまだ語る余地はありそうですし。

次回以降いつか

  • で、「村の古老システム」って結局何なのさ
  • 各地域での「村の古老システム」は、国家的「村の古老システム」の縮小再生産なのか?
  • 現代に「村の古老システム」は生きているか?

なんてことを考えてみたいとは思っていますが、予定は未定。

*1:わかる人だけにわかる話。ソワカちゃん的に言えばこっちの方がしっくりきますね。鼻の高い天狗は仏教守護の側面が大きいようですし。某マロとか某天狗さんとか。

*2:パパの人のブログより。この指摘は結構面白かった。天狗=星と修験道の宿曜占星術とか妖霊星とか絡めるともっと面白そうだけど妄想度もUP!真面目に考えるなら『日本書紀』の成立年代と小角伝説化がどの程度オーバーラップするか、といったところか。

*3:天狗の研究』という本を書いた天狗研究家

*4:この記事の2.妖怪の発生とキャラ化あたり。

*5:天狗の伝播にはこうした人々、特に山岳修行者が深く関わっているようですが、今回はそれが共同体内部でどう受け入れられたかという話なので割愛

*6:この記事の半分より下あたり。

*7:そうみん。本当は日文という名前らしいですが。僧旻チャンプルーとか、「ねぇ僧旻、こっち向いて」とか書かなかったのは良心だと思っていただきたい

テヅカ・オブ・ザ・デッドというゾンビ映画はどうだろう

0.はじめに

またも某護法少女とは関係ないのに伊藤剛な人の話をしてしまう。
伊藤剛テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版,2005)に出てくる「キャラ/キャラクター」という分類を、
うまく妖怪に適用できないか考えてみた、というお話です。
相変わらず根拠レスに勢いだけで語ってますのでひとつよろしく。
そして相変わらず妖怪の定義が曖昧なまま使ってしまいますがそれもよろしく。
更にTiD*1をいまいち理解してない気もしますがそれも以下略。

1.そもそもキャラ/キャラクターとは?

もともとは漫画の分析で伊藤が用いた概念で、
漫画等の登場人物についてなどの二種類のリアリティを説明するもの。

キャラクターは背景に「人生」を持っている存在としての登場人物。
絵で表現されていても、実際は生身の人間(あるいはそれに類するもの)を表現しており、
漫画はその人生の一部を絵で表現しているだけである。
そのため、キャラクターはその属する物語(=人生)から切り離すことが出来ない。

一方でキャラは単純な線画で成立しており、名前と外見と「人格・のようなもの」はあるが、
それと不可分な人生は持っていない。
逆に言えば、キャラクターが背後に持っているような「人生」「物語」といった参照項がなくても、あるいはそうした文脈から切り離されていても存在が成立する。
そのため、本来の文脈と切り離された作品である二次創作等にも耐えうるものである。

……という大雑把な理解をしているのですが、間違っているかもしれません。


で。
このキャラ・キャラクターの定義をかなり恣意的に読み変えると

キャラクター:背景の物語があって成立する
キャラ:単体でも成立し、物語を横断しうる

という感じになる訳で。
ではこれらを妖怪に当てはめるとどうなるか。

2.妖怪の発生とキャラ化

ではまず、妖怪がどのように発生するかを考えてみることにします。
色んな発生の仕方があるとは思いますが、まず一つの素朴な型として。

理念化した妖怪の生成過程(ざっくり)
a.怪奇現象の発生
b.主体の仮定
c.属性の追加(外見・特徴等)
d.図像化


具体例
a.ひぃ、置いておいたリモコンがない!
b.それは妖怪「リモコン隠し」じゃ!
c.リモコン隠すぐらいだからちっちゃくて、手が生えててetc
d.(各自思い描いて下さい)


この場合、a.で発生した現象を説明するb.の時点で妖怪が発生します。
b.の時点では、「リモコンがない」という体験談(物語)と
その原因である「妖怪リモコン隠し」の存在は不可分に結びついています。
この場合の「リモコン隠し」は背景に不可分な物語を持つ「キャラクター」と言えるでしょう。
c.の段階でもまだ物語と結びついていますが、一方で様々な属性が追加される事で「キャラ」として成立しやすくなっていきます。
d.に至って図像となり、一部で共有されていた本来の文脈から切り離されても成立するようになる=「キャラ」となります。
つまり、必ずしもリモコンを隠す、という行動を絵の上でしなくても、見る人に妖怪だと認知されるようになるわけです。*2


そしてまた実際のところ、a.からd.に至るまでは一直線ではなく、
a.〜c.までを何度も繰り返すことで属性が増えて行く、ということがままあります。
村の古老システム*3などがフル活用されたりされなかったりしながら、共同体の中で付加された設定が共有されていきます。


具体例
a.山で怪しい奴に会った!
b.それは天狗じゃ!
a.山の中で怪しい音が!
b.天狗の仕業じゃ!
c.天狗って音立てるのかー
a.山の中で石が降って(以下略)
b.天狗の(略)
c.天狗って石降らすのかー

ってな感じ。
こうした場合は、「山の中で何か起こったらあいつのせい」という属性が追加される事で外見等が規定され、「キャラ」になりやすくなると思われます。
おそらく。多分。

3.キャラ先行妖怪

前段では、「怪奇現象の主体として発生した妖怪は物語と不可分のキャラクターであるが、それが特徴を設定され、図像化することで本来の文脈と切り離せるキャラになる」ということを述べました。
これは大体村落などの共同体で発生するものと思われます。

一方で、別の発生の仕方をする妖怪もいます。
たとえば、絵が先にありきの妖怪。
具体的には、鳥山石燕「図画百鬼夜行」の大半の妖怪などがこれに当たります。
「創作妖怪」なんて言い方もあるようですが、これについては、上の発生過程で言うとd.からスタートするという、前段とはまったく逆の形となります。
ここで問題となるのが、どうして図像しかないそれが「妖怪」と判断されるのか。
たとえば「ぬらりひょん」なんかは元々ほぼ図像だけから成立したのですが、何故か「妖怪」と扱われています。*4
また、実は先のキャラクター先行妖怪が図像化したときにも同じことが言えるわけです。
たとえば思い浮かべていただきたいのは、黄桜のCMに登場する河童。ルンパッパ。
彼らは尻子玉を抜く訳でも牛や馬を溺れさせる訳でもないですが、厳然として河童であり、妖怪です。一体これは何故なのか。

描かれたものが「妖怪」として扱われる理由として、まず異形である、ということが考えられます。つまり普通の人間や動物などと違う形、見たこともない異様な姿をしていること。
一つ目小僧、ネコマタ、傘化け、あるいは上記の河童等々。
怪しい行動をしなくても、怪しい外見をしているだけで妖怪である、
というのはまぁ当たり前と言えば当たり前な訳で。

では、描かれた絵が怪しい外見じゃなければ妖怪とは呼べないのか。
あるいは、描かれた絵が怪しい外見であれば妖怪と認識されるのか。


そこでたとえば豆腐小僧という妖怪を例として考えることができます。
要は豆腐を持った少年という外見の妖怪が、黄表紙に登場するわけですが、こいつには特に伝承も何もない。
外見が異常でもなく、行動がさして異常なわけでもないこいつが何故妖怪なのか。*5
豆腐小僧に関して言えば、先行する一つ目小僧や酒買い狸といった妖怪の図像があり、その姿と豆腐小僧の恰好が類似していることが大きな理由として挙げられます。また、おそらくは「小僧」であることが、数多くいる子供の姿をした妖怪への連想を働かせています。
……というように、妖怪と認識されるためにはそれまで蓄積された「妖怪らしさ」のコードを押さえる必要がある、と考えられます。何がしかの妖怪らしいコード(広く言えば「異様な見かけ」も含む)を押さえた外見の図像が、妖怪と認められるわけです。*6

4.捏造される背景(図鑑とキャラクター化)

前段では図像から発生し背景を持たない(=キャラ)妖怪の存在、及び彼らが妖怪として判断されるためには「異形性」及び「妖怪らしさのコード」が重要であるという話を致しました。
さて、彼らは果たして背景がないまま「妖怪」として存在し続けるのか。
媒体によりますが、我々のイメージする妖怪は、やはり怪奇現象を起こす主体として想定されるものが多いと思います。
本来はキャラクターの背景、つまり怪奇現象を伴う伝承を持たなかった妖怪についても、伝承(先の生成過程で言うa.b.)があるかのように語られることが多くあります。
その理由として、妖怪図鑑、あるいは図鑑的な役割をするもの*7の存在が考えられるんじゃないかと。*8
図鑑では伝承のある妖怪(=キャラクター)と、伝承のない妖怪(=キャラ)が「妖怪」として同列に並べられます。
前者は図鑑に載せられる事で地域とその人間に密着した本来の伝承から切り離されてキャラ化し、他の=本来の文脈から離れた物語にも存在できるようになる。
一方で、後者は前者と同様の体裁を整えるために、似たようなものの伝承を当てはめる、勝手に一から物語を作る、などの方法によって背景を後付けで捏造し、元々は「キャラクター」であったことを装わせる。
こうしてキャラクターであった妖怪とキャラであった妖怪は一律に、"キャラクターである過去を持つ(とされる)"・"過去(=本来の背景である伝承、あるいは後付けされた伝承もどき)からはある程度切り離されたキャラ"として妖怪図鑑の項目に載録されることとなります。

5.妖怪図鑑とキャラの再生産

前段に記したような形で、一度妖怪図鑑に収録されたキャラ=妖怪は、様々なメディアで参照されることとなります。小説や漫画などの創作、譬えや冗談、更には実際の怪奇現象の説明にも、その妖怪の持つ過去、つまり発生のきっかけとなった背景やそれと分かちがたく結びついている限定された地域性や作者性等とは関係なく引っ張り出されるようになるわけです。
そしてそれぞれの物語の中で妖怪が必要な位置を占め、その妖怪の新たな物語が人口に膾炙するようになります。これは、背景がなく、文脈から取り外し可能な"キャラ"である個々の妖怪が、それぞれの物語に根を下ろしキャラクターとなった状態と言えるでしょう。
そしてまた、キャラクターは新たに作られる図鑑的なものにフィードバックされ、キャラを変化させる。この運動を繰り返すことでエピソードと属性が付加されたり忘れられたりしながら、妖怪はキャラクター⇔キャラを往還することとなります。
更新され続ける妖怪図鑑的なるものに、キャラクターから、あるいはキャラクターもどきからキャラとして載る事で、妖怪は背景の伝承から切り離しても存在を続けられるようになりました。たとえ伝承が滅びても図鑑には残り続け、また別の物語に根付くことが可能となったのです。

ここまで大いに参照してきた「キャラ/キャラクター」論の提唱者である伊藤剛は「テヅカ・イズ・デッド」の中で、キャラクターを以下のように定義しました。

「キャラクター」とは、「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの*9

また、ここで伊藤が呼んでいる「「身体」の表象」は、大塚英志の言う「死にゆく体」とほぼ同じものとして立論しているようです。*10
つまり、キャラクターはキャラと違って、物語の中で死にうる存在である、と言えます。
そのような意味では、本来の文脈から遊離して「キャラ」となった妖怪たちは、物語の内側での「死」から自由になったと言えるでしょう。
また、更新され続ける妖怪図鑑というデータベースに載ることで、発生のきっかけである物語や共同体自体が消えてなくなることによる物語の外側での「死」からも免れる可能性を手に入れました。

まさに日本一有名な妖怪アニメで歌われていたように、「お化けは死なない」のです。

*1:テヅカ・イズ・デッド」の略称。先日思いついた。

*2:図像化されない妖怪もいますし、図像化だけが終着点ではないのですが、ここは漫画の分析概念をもとにした話であること、図像化のインパクトはやはり強いということで、かなり話を絞ってお送りしています

*3:怪奇現象に対してある種の権威者が主体を特定することで規定される、というシステムを勝手に命名。これについては別に記事を設けて語りたい所

*4:実際のところ、「妖怪」とか「百鬼夜行」とかがタイトルや名前についているから、というのも大きいと思いますが、それを言ってしまうと身も蓋もないので今回は措いておきます

*5:この辺りは京極夏彦豆腐小僧双六道中ふりだし』(講談社,2003)参照

*6:「妖怪らしさ」のコード個々の内容については長くなりそうなので今回深く立ち入りません。(現代の)妖怪イメージを規定するコードについては京極夏彦妖怪の理 妖怪の檻 (怪BOOKS)』(角川グループパブリッシング,2007)などを参照

*7:たとえば一話完結で色々な妖怪が出てくる漫画など。とにかく数多くの妖怪が説明付きで一堂に会するようなもの

*8:奇妙なもののリスト化=「妖怪図鑑的なものへの欲望」とかもあるはずなのですが、本筋から外れる上とても長くなる気がしますので省略。

*9:伊藤剛テヅカ・イズ・デッドNTT出版,2005 p95-p97

*10:伊藤前掲書,p129-134

『もっけ』がいかに妖怪好きの心をくすぐったか、と言うお話。

妖怪漫画『もっけ』の話。

この漫画に関してはナイトメア叢書「妖怪は繁殖する」(青弓社,2006)*1にて国文学な学者の方が論じておられるし、
伊藤剛*2なども各所で触れているのですが、
そんなこととはまったく関係なく思いの丈など述べてみる次第。
半分以上妄想なので誤読上等ということでひとつ。

知ってる人は知ってるだろうし知らない人はこんな記事読まないだろうけど、一応解説しておきますと。
この漫画、ざっくり言ってしまえば
怪しいモノが見える姉と怪しいモノに憑かれやすい妹が
怪しいモノと関わっていく一話完結型のお話。
怪しいモノは当面妖怪と言い換えても問題ないはず。

妖怪と関わる一話完結のお話と言えば、それこそ鬼太郎から百鬼夜行抄まで枚挙にいとまがないわけですが、
もっけ』の凄いところは、そのバランス感覚だと思うわけです。

「妖怪」という話から先に始めますと、
まずこの漫画、毎回タイトルになる妖怪(たまに妖怪じゃない)があり、その妖怪の属性がストーリーに絡んでくる、という作りになっております。その妖怪について語られる、あるいはその妖怪の表す特徴が、通り一遍のところから持ってくるのではなく、妖怪の周辺も含めた細かいところで様々なネタを持って来ているのがわかってニヤリとさせられる。

主に主人公姉妹の祖父が披露する蘊蓄が妖怪ネタ満載ですが、それ以外の何気ないシーンなどにもいちいち妖怪好き心をくすぐる演出があり。
たとえば「#28 ヤマウバ」でヤマウバがいなくなった直後のシーン、ドングリと落ち葉が散らばっている*3のは、能「山姥」で山姥の正体として登場する「熟して谷に落ちた団栗に落ち葉がつき、団栗が目となって山姥となる」という説が元ネタであったりします。
また「#12 ヒョウタナマズ」では鯰絵、大津絵あたりが小道具として使われつつ、実際描かれている妖怪はヒョウタナマズという「伝承が存在しない」妖怪、ただしおそらく本当の妖怪は(おそらくヌラリヒョンであろう)伊福部老人。*4
などなど。

とはいえ、取り上げられる妖怪のネタは濃ゆくてもそれに引っ張られて話が疎かになっている感じがしない。とまぁこれはファンの贔屓目なのかも知れませんが。おそらく妖怪のために話があるわけではなく、妖怪はあくまでも話のための装置なんじゃないかと。まずストーリーが先にありきで後から妖怪を選んでいるのだろう、などと勝手に考えているのですが、京極夏彦がご自分の作品について同じようなことを言っていがしますがうろ覚え。
簡単なように見えて妖怪への愛が走りすぎるとその辺のバランスが難しくなったりするわけです。

また、ストーリーの舞台設定が「日本のどこか」のようなわけですが、あえて地方を設定していないようです。タイトルもカタカナで妖怪の名前なのですが、その名称もおそらく地方性を排するようになるべく普遍的な名前を持って来ているようで。場合によっては「#2 オクリモノ」など妖怪の名称としては存在しないものを持ってくることもあるようです。

同じ行動をする妖怪でも場所によって名前が違う、あるいは同じ名前の妖怪でも場所によって行動が違う、というのは大いによくある話なわけで。舞台及びタイトルで地域を限定しないことで、そのような様々な差異をうまく統合して素材として使っているわけです。

そしてもう一つ、ストーリーの作りの話。
作中で主人公たちはそれぞれ妖怪と交流できる能力を持っている、とされていますが、本当に妖怪がいて彼女らと関わっているのか、それとも主人公たちの妄想なのか、どちらとも読めるようになっています。「妖怪」という説明を入れないでも話の中の世界観が大きな齟齬なく成立するように作ってあるのです。

たとえば、
妖怪が見える能力も憑かれる能力も妄想。それで知ることが出来ないはずのことを知るのは「無意識で感じた・知ったもの、あるいは表面的には覚えていないことを妄想と言う形で出力している」さもなくば偶然。出来ないはずのことができるのは自己暗示による潜在能力の発揮。
と見ることもできます。
妖怪側からの視点がほとんどないことも、そうした読み方を補強しているとも言えます。

ただし、基本的に怪しいモノと関わる能力を持っている人間を主人公に話を進めているため、「意識してそう読めばそうとも読解できる」というレベルには抑えられています。とはいえ、主人公たちの妄想、として読み解く余地をあえて残しておくことで、単なる妖怪物にはない雰囲気を生み出しているのではないかと。

大抵怪しいものと関わる漫画といえば、怪しいモノと関わる人だけがより真実の世界に近い姿を見ている、見えない人は世界の限られた姿しか見えていない、というストーリーになることが多いわけです。
しかし前述のように『もっけ』では見える人の見る世界が必ずしも正しい、という構造をしてはいません。見える人それぞれでモノの見え方が食い違っているというエピソード(#36 ヌッペッポウ)などは、妖怪は受け手にその外見を依存する=妖怪やそれを含む世界観に「唯一の正しい姿」がないことを意味しているようです。

こうした姿勢は1話目の「#1 ウバリオン」から表れています。
この話はその場に見える人間である姉がいなかったならば、
「調子悪くなったけど、助けられて回復した」
というだけの話なわけで、何一つ不思議なことが起こっていない、とも解釈できる話です。見えていることが逆に物事の解決から遠のかせる、という話が1話目から登場するというのはこうした漫画としては非常に珍しい気がします。
見えることで逆に「考えの幅狭めちゃってた」というセリフ*5はある意味で象徴的なのではないかと。

また、主人公たちも自らの世界観に自覚的です。
たとえば「#23 ジャタイ」の最後での姉妹の
「私達も何にも思わなければ 見る事も憑かれる事も無いのかもね」
「お姉ちゃん そりゃ難しいよ」
「うん」
という会話*6などにそれが強く表れているわけです。

周囲の大人が彼女ら主人公の能力を「病気」と扱うシーンも多く見られます。
いわゆる常識的な世界観で言えばそれも間違いではありませんし、妖怪が当たり前のように登場する作品世界の中ですら完全に間違いとは言えないようです。
そうしたことを踏まえると、伊藤剛が『もっけ』の物の怪を「身体や心の変調」あるいは「心身症」のメタファーと読んでいる*7のも作者の意図したところを鋭く射ている気がします。

で、
ここまで長々とわかったようなわからないような話を書いてきましたが。
表題の「いかに妖怪好きの心をくすぐったか」ということについて。

1つは先述のようにちりばめられた濃ゆい小ネタのため。
とはいえ妖怪に引っ張られてストーリーが破綻しないそのバランス。

そしてもう1つは、妖怪がいるともいないとも言える世界観そのもの。
どちらともとれるような描写も、やはりバランス感覚のなせる技だと思うわけです。
現在「いない」のが常識とされている妖怪を、漫画の中で「いる」とするのはある意味簡単な話ですが、妖怪はもともと「実際はいないがいるとされた」とか、「いないけど信じる人にとっては存在する」など、「いる」と「いない」の間に存在するものであり、単純に「いる」としてしまっては妖怪の片方の面しか楽しめない気がします。
妖怪が「どのように存在しているか」ということは、取りも直さずそれを感じる人間が(共同体のバックボーンを踏まえつつ)「どのように理解・把握したか」ということなわけで、「バックボーンとなる過去の妖怪知識」が踏まえられた「主観でのみとらえられる妖怪」が登場する『もっけ』はある意味でもっとも妖怪らしい妖怪漫画なのかなぁ、などと思うわけです。

主人公姉妹を教え導く立場の祖父についてとか、ビジュアルのないものが多いはずの妖怪をビジュアル化するにあたって(水木の影響なども含めて)どうするのか、とか、雑多に語りたいことはまだまだあるのですが、それはまたいずれ、ということで。

長く書きすぎたので意味が分からなくなっている気配がする恐怖。
わかんなかったらごめんなさい。

2009/1/26 文法的に意味がおかしい所などをちょいちょい修正。勢いでupするのは良くないね。

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

*1:妖怪は繁殖する (ナイトメア叢書)

*2:伊藤剛については今後某ソワカちゃんなどで触れることもあろうと思っていましたが、こんなところで触れることになるとは。

*3:もっけ』5巻 P145

*4:なぜヌラリヒョンなのかという話をしだすと長いので省略。瓢箪とか鯰とかがヌラリヒョンと関わってたりするのです

*5:もっけ』1巻P18

*6:もっけ』6巻 P170-171

*7:http://www.nttpub.co.jp/webnttpub/contents/comic/007.html