祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』第二版頒布のお知らせ

【H26.12.02追記】
遅くなりましたがコミティアXありがとうございました。
通販についてはこの記事をご参照ください。


【以上追記、以下本文】

Trick or Treat! (「うむ、祟りを鎮めるには生け贄しかあるまい……」の意)

11月23日のコミティアX-4にて、『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』(内容はこちらこちらの記事参照)の第2版(改訂内容は前記事参照)を頒布いたします。相変わらず「しかま家」さんに間借りして頒布させていただく次第。

◎日  時 : 2014年11月23日(日)10:00〜16:00
◎場  所 : 東京ビッグサイト 東6ホール
◎イベント : コミティアX-4(コミティア110と同時開催)
◎サークル : しかま家
◎スペース : X407

コミティアXは通常のような机と椅子のブースではなく、かなり自由な感じでブース設計できるので、今回は畳と座布団をメインに、ヴィイ資料(調べるのに使った論文や妖怪図鑑のヴィイのページなどのコピー)を持っていきます。
なお、資料の量は80mm幅と50mm幅のファイルがほぼ一杯になる程度です。


「しかま家」ブースでは、くまみさんのナメクジテレポート資料も持ってこられるそうですので、興味ある方はそちらもぜひ。

(参考)
ナメクジテレポートとは?:ナメクジが空間転移するという現象。瞬間移動ではなくじんわり時間がかかるのがポイント。昭和の子供向けオカルト本などで取り上げられていたので、一部の世代の一部の人には妙に知名度が高い、らしい。
しかし、子供向け本に適当にでっち上げたわけではなく、
文献的には今のところ大正時代まで遡れるんだとか。

この辺参照:ナメクジテレポータル(http://www.hamkumas.net/hub/nt


ナメクジテレポート伝説の発生と伝播に関しては、くまみさんの「ナメクジテレポート」(続刊中)がおそらく世界一詳しいので、チラとでも興味を持った方は是非イベント等で入手してみてください。コミティアX-4に合わせて最新4巻を出す予定とのこと!

あ、通販についても再開します。
内容は前と同じですが、ごちゃごちゃと長くなりすぎたのでコミティアXが終わってから記事を書きます。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』初版→第二版への主要改訂内容


初版→第二版への主要改訂内容、および補遺のPDFデータ : (改訂内容&補遺)

B5にプリントアウトして二つ折りにして本に挟むor貼付 等の遣い方を推奨しております。

なお、第二版は

◎2014年11月23日(日)
コミティアX-4
◎スペースNo.  X407
◎「しかま家」

にて頒布致します。詳細は次記事にて。


以下くだくだしい説明。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』初版分があらかた売り切れてしまいました。
何人かにお渡ししなければならないので、在庫リスクに怯え慄きつつ増刷しようと再度本文を確認したところボロボロと誤りやら不足やらを発見したのと、以前から「ここ誤植じゃねぇ?」とツッコミを受けていたのと、新規情報がいくつか手に入ったので、せっかくだから中身を一部改訂した次第です。
頁数が変動するような情報は、仕方がないので補遺として別ペーパーに致しました。

ってなわけで、改訂内容および補遺内容を書き残しておきます。

以下、上記PDFと同じ文言を雑に貼りつけただけです。


『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』初版→第二版 主要改訂内容

◎9頁下段最終行:タイプミスの訂正
 (旧)そのkなった
 (新)その元になった

◎34頁上段12行目:ロシア語をカタカナ表記に合わせ主格に訂正
 (旧)風=ヴェーテェル(ветром)
 (新)風=ヴェーテェル(ветер)

◎61頁上段9行目:表現の修正
 (旧)冒頭に書いたとおり、
 (新)2‐1に書いたとおり、

◎82頁上段10行目:出典の追記
 (旧)(鳥取縣圖書館協會、一九五一)
 (新)(鳥取縣圖書館協會、一九五一 牧野出版社より一九七四に復刻)

◎82頁下段5行目:内容の一部修正(復刻版が出典の可能性を考慮)
 (旧) 水木がほぼ同内容の短編の題名を変えることは珍しくないが(中略)
    それにちなんだものではないか、と推測できる。
     ただし同書をいつ水木が入手したかは不明である ため、前述の説は
    あくまで推測の域を出ない。
 (新) 仮に水木が復刻版ではなく原書を「死人つき」執筆以前に入手して
    いたとすれば、以下の推測が可能である。
     水木がほぼ同内容の短編の題名を変えることは珍しくないが(中略)
    それにちなんだものではないか。
     根拠の薄い推測ではあるが、念のため記載しておく。

◎85頁上段最終行:
 (旧)『Вий』(一九六七、モスフィルム)
 (新)アレクサンドル・プトゥシコ総監督『妖婆 死棺の呪い
    (アイ・ヴィー・シー、二〇一三)

◎101頁下段7行目:
 (旧)土の中のおじいさん
 (新)土のなかのおじいさん

◎104頁上段最終行:
 (旧)ただしここでの掲載が初出であるかは確認が取れていない。
 (新)初出であることを『ゲゲゲの鬼太郎TVアニメDVDマガジン』
    第1巻第2号(講談社、二〇一三)にて確認した。

◎129頁〜:
 (追加)荻原直正編著『因伯傳説集』(牧野出版社、一九七四) ※ 復刻本
     『ゲゲゲの鬼太郎TVアニメDVDマガジン』第1巻第2号
      講談社、二〇一三

◎143頁 XANO明朝
 (修正)白髪増量中 (http://www.asahi-net.or.jp/~sd5a-ucd/



※改行位置他、ごく軽微な改訂については、記載を割愛した。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』 第二版 補遺

II
平田弘史の漫画「おれたちは生き苦しいのだ」(『平田弘史のお父さん物語』に収録、初出…『週刊少年キング』一九七一年第53号、少年画報社)は時代劇であるが、ストーリーの一部に「ヴィイ」が取り入れられていると見られる。魔物が夜毎に主人公を襲うが、しめなわの輪の中には入ることができず夜明けの鐘が鳴ると逃げ帰る、最後には夜明けを迎えてしまったため壁や地面にはりつき、めりこんでしまう、といった類似点があるが、魔女やヴィイに当たるものは登場しない。

III
水木しげる「異形の者」および「死人つき」は「ヴィイ」の後半、三晩の祈祷の部分を翻案・漫画化しているが、『水木しげる叢書別巻3 水木しげる単行本未収録作品集1』(籠目舎、一九九一)(奥付等がないため、書誌情報は基本的に平林重雄『水木しげると鬼太郎変遷史』(YMブックス、二〇〇七)に依った)に、それらの漫画では省略されている「ヴィイ」前半部を翻案漫画化したと思しきコマが3コマ収録されている。
・旅の僧と思われる青年があばら家に向かって「ごめん下さい」と声をかけるコマ
・小屋の中から覗く(おそらく)老婆に僧が「おそれ入ります?」と話しかけ、
老婆が無言「……………………」で応じるコマ
・老婆が僧の肩に乗り、僧が汗をかきながら「こいつひょっとしたら下北の伝説に
ある「「妖婆(やまんば)」かな?」「「妖婆」だとすれば」と考えるコマ
同書には「映画通のファンなら、この場面を見ただけであるソ連映画を想い出すはず。「妖婆死棺の呪い(ヴィー)」 奇才水木しげるの手によって完全劇画化!」と書かれているが、その他の情報がなく、書かれた時期や他に原稿が残っているのかは不明である(平林前掲書に依れば未発表原稿)。なお「妖婆」という表現は水木が参考にしたと思しき原卓也訳でも同様の場面で用いられており、映画との先後を決める根拠にはならない。
主人公の僧が「死人つき」のような少年ではなく「異形の者」と同様青年であることから、もともと「異形の者」の一部であった可能性が考えられる。ただし「異形の者」の僧は伝説などを信じないキャラクターとして描かれているため、怪異に対するスタンスが3コマ目の発言と異なる。
現状詳細は不明であるが、今後新たな資料が出てくることを期待したい。

参考資料
平田弘史平田弘史のお父さん物語』(青林工藝舎、二〇〇五)
平林重雄『水木しげると鬼太郎変遷史』(YMブックス、二〇〇七)
水木しげる水木しげる叢書別巻3 水木しげる単行本未収録作品集1』(籠目舎、一九九一)


※ 本編内、国外の参考文献(134頁〜)はイ、ロ、ハ……と続くところ、
ソ の後が ケ となり、順番が飛んでいる。
誤りであるが、大勢に影響がないこと、訂正すると却って初版との整合に混乱を生ずる可能性があることから、訂正は行わない。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』頒布のお知らせ

【H26.08.31追記】
コミティアありがとうございました。
在庫僅少となったため、通販は終了とさせて頂きます。
再販等の場合はまたこちらからご連絡いたします。


【H26.08.19追記】
夏コミありがとうございました。
次は8/31のコミティアでお会いしましょう。

【以上追記、以下本文】


厳しい日差しに夏の本格的到来を感じます。
毎日暑い日が続いておりますが、体調など崩されていませんでしょうか。

さて。
四月莫迦時点では出るや出ざるや曖昧模糊としていた同人誌が
お蔭様でどうにか無事に出ることと相成りました。

内容については前エントリ参照。
前回からページ数が倍増しているのもさることながら、内容も更に濃厚、
誰得領域に片足突っ込んだどころか肩まで浸かった代物になっております。
……自賛と自虐を兼ねていて何ともですが、本当なんだから仕方ない。

そしてなんと今回も熊倉隆敏さんに表紙を描いていただくという快挙。
本当にありがたい限りです。


◎題  名 : 『増補改訂版 ヴィイ調査ノート
         ――ウクライナ・ロシア妖怪茶話』
◎判  型 : A5判
◎頁  数 : 144頁
◎頒  価 : 1,500円
◎特記事項 : 表紙フルカラー・巻頭カラー口絵アリ


初出しは夏コミの予定です。

◎日  時 : 2014年8月17日(日)10:00〜16:00
◎場  所 : 東京ビッグサイト 東4,5,6ホール
◎イベント : コミックマーケット89
◎サークル : しかま家
◎スペース : Q50b


以降はとりあえずコミティアでの頒布を考えております。
文フリとかも出してみたいですね、手に取っていただけるかは知りませんが。

どうせそうそう売れるものでもないのでのんびり頒布するつもりですし、
夏コミは無理に来るようなところじゃありませんが、
もしも御用があれば、ついでにでも寄っていただければと思います。

通販について

通販に関しては、前回と同様の自家通販となります。
また、早めに注文していただいても、コミケ後の発送となりますが、
この点はご了承ください。

手順としては以下のとおりです。
 1:メールにて御連絡頂く
 2:事務的なやり取りなど
 3:不思議な力により本が届く


まずはメールタイトルを"『ヴィイ調査ノート』通販希望"とし、希望冊数を記載の上、
 jichこinsaこi渦gmail.com の渦を@に変えたアドレスに御連絡ください。
(追記:ちょっと諸都合によりクイズ形式にしました。 ヒント:こけし

 *なお、メール送付後一週間経過しても返信がない場合、
  フィルター等で届いていない可能性がありますので、
  お手数ですがこの記事にコメントを頂きたく、よろしくお願いいたします。
  メールをうまく送れない場合もこの記事にコメントを下さい。

基本的な料金は、諸々の代金(梱包、送料等)込みで一冊1,800円とさせていただきます。
ご了承ください。
また、振込手数料が発生する場合はご負担をお願いしたく、よろしくお願いいたします。
なお、世を忍ぶ仮の本業や世を忍ぶ仮の日常生活などもあるため、事務作業や返信には
御連絡を頂いてから多少時間がかかる予定です。



以上です。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』(仮題)のお知らせ

うららかな妖気に春の訪れを感じ心も浮き立つ今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

お蔭様で好評を頂きました『ヴィイ調査ノート』ですが、この度増補改訂版を出すことと致しました。

ヴィイ調査ノート』については過去のエントリ参照ですが、ざっくりと説明いたしますと、


◎ロシアの文豪ゴーゴリ怪奇小説ヴィイ」。水木しげるの漫画「異形の者」
 「死人つき」の翻案元であり、一部でカルトな人気を誇るソ連映画
 「妖婆 死棺の呪い」(別題:魔女伝説ヴィー)の原作でもあるこの作品に
 登場する魔物がヴィイである。


ヴィイは地面までつくほど長いまぶたを持ち、そのまぶたの奥に隠された目は
 普通の魔物が見ることが出来ない結界をも見通すことが出来る。
 ゴーゴリは、この題材を民話からそのまま取った、としている。


◎識者の間では、この魔物はゴーゴリの創作であり民話そのものには登場しない、
 という意見が優勢であるが、ゴーゴリの故郷であり「ヴィイ」の舞台でもある
 ウクライナを中心に、ヴィイを髣髴とさせる伝承が数々残されている。
 たとえばそのうちの一つ、ロシア正教の聖人カシヤーンは速水螺旋人氏の漫画
 『靴ずれ戦線』にも登場する。
 ヴィイの背景には一体何がいるのか。


◎一方、昭和日本では妖怪図鑑ブームの中で世界の妖怪が取り上げられ、
 ヴィイも様々な外見でそこに登場する。
 その描かれ方は大きく分けて三つほどの系統があった。
 また、水木しげるは漫画や図鑑にヴィイを登場させるが、
 その姿にも媒体・時期によっていくつかバリエーションがあった。
 その理由とは。


ヴィイの正体と日本での広がりに迫る、(多分)空前(おそらく)絶後、
 一冊丸ごとヴィイの本!
ソビエトロシアでは、同人誌があなたを見る!」

というような感じの同人誌でした。
頒布開始時点ではかなり精一杯のつもりだったものの、
本を出した瞬間から更に新たな情報が集まってくるというマーフィーの法則じみた現象があり、それがかなりの分量になったため改訂を決心、
折角やるならとかなりの大改造を施して増補改訂版の頒布決定とあいなりました。

事実誤認の訂正などはもちろん、新規に確認できた資料や、それに伴ってのちょっとした仮説など、様々な内容が追加されています。
お蔭様でページ数は前回の72ページからおおよそ1.94倍の140ページ!
(間に補遺を計16ページ出していますが、それと併せて計算してもおよそ1.59倍!)
……か、あるいはそれ以上のページ数になることが既に決定しています。

前回から進歩、変化した具体的な内容についてちょっと説明。

 ◎前回は基本的に「使わない」と宣言した日本国外の資料をふんだんに使用。


 ◎ヴィイの元ネタのひとつ(かもしれない)「疥癬かきの」ブニャク。
  前回は遊牧民の長(ハーン)の一人が伝説化したものである、としましたが、
  彼のもうひとつの姿とは――?


 ◎魔物ヴィイは実は古代スラヴの神が元になっている、と言う説もあるようです。
  ヴェレスやペルーンなどの大物から、ちょっとマイナーなアイツまで、
  様々な神がヴィイと結び付けられました。
  果たして本当なのか、いくつかの説を紹介・検証しています。


 ◎ヴィイという名はウクライナ語の「まつ毛」に由来するのが定説とされて
  いますが、今回その反証となる(かもしれない)例を見つけました。
  はたして本当の由来は?


などなど。


先に書いたとおり、前回は本人の能力上の制約から一切使わなかったロシア語論文を中心に、様々な資料を当たっています。
と、いっても、当方ロシア語はマルデダメなので、錚々たるメンバーにお手伝いいただいております。
ありがとうございます。ビバ他力本願!
また、近所の図書館にない資料も各方面の暗躍により収集できました、これまた大感謝。

というわけで、詳細が決まったら(原稿を書き上げて印刷に回したら)
再びこちらで告知いたします。
おそらく8月頃の頒布になるかと思います。
宜しくお願いいたします。


……何故この日にそんな告知をするかと言いますと。
万が一原稿が間に合わず本を出せなかったとしても「じ、実は四月馬鹿でした〜」との言い訳が可能だからです。
その程度の気持ちでぬるく見守っていてください。

【追記あり】「ホマの話を君は聞いたかい?」 〜コミティアありがとうございました・自家通販始めました

【H25.08.13追記】
残部僅少となったので一旦通販を終了させていただきます、申し訳ありません。
再販の際はこちらにてお知らせいたします。よろしくお願いいたします。


【以上追記、以下本文】


コミティア104にて当スペースにお立ち寄りいただいた皆様、どうもありがとうございました。
お蔭様を持ちまして、『ヴィイ調査ノート』、完売となり……ませんでした。
なお、『ヴィイ調査ノート』の詳細は前エントリをご覧願います。

ということで、まだ在庫があることもあり、またご希望の方もいらっしゃることもあり、『ヴィイ調査ノート』通販をさせていただこうと思います。
ただし、その手の大手のお店に置いていただけるようなものでもなし、申し訳ありませんが家内制手工業のジカ通販とさせて頂きます。
自家通販かつ直通販。


手順としては以下のとおりです。

 1:メールにて御連絡頂く
 2:事務的なやり取りなど
 3:不思議な力により本が届く


まずはメールタイトルを"『ヴィイ調査ノート』通販希望"とし、希望冊数を記載の上、
jまichiまnsまai跡gmail.comの跡を@に変えたアドレスに御連絡ください。
(追記:ちょっと諸都合によりクイズ形式にしました。 ヒント:まぬけ)

 *なお、メール送付後一週間経過しても返信がない場合、
  フィルター等で届いていない可能性がありますので、
  お手数ですがこの記事にコメントを頂きたく、よろしくお願いいたします。
  メールをうまく送れない場合もコメントを下さい。

基本的な料金は、諸々の代金(梱包、送料等)込みで一冊900円とさせていただきます。
ご了承ください。(5冊以上ご注文を頂いた場合は、別途ご相談させてください)
また、振込手数料が発生する場合はご負担をお願いしたく、よろしくお願いいたします。

なお、世を忍ぶ仮の本業などもあるため、事務作業や返信には御連絡を頂いてから多少時間がかかる予定です。
気を長くしてお待ちいただければ、と思います。

ご不明な点がありましたらお気軽にご相談ください。

「そうら、其處にをるぞ!」 〜ヴィイの話に関するお知らせ

と、いうわけで前回予告した通り、同人誌を作ったのでコミティアにサークル参加します。
と言っても友人のサークル「しかま家」さんに間借りですが。


(多分)空前(おそらく)絶後、一冊丸ごとヴィイの本!
謎のロシア妖怪ヴィイについて、日本一のヴィイ男(自称)こと俺がいろいろ調べたのでまとめたヨ、という代物。


速水螺旋人さんの「靴ずれ戦線」のおかげ様もあって、今ロシア妖怪が局地的にキている! ということでビッグなウェーブに乗った感もなくはないですが、ここ10年くらい断続的にボチボチ調べてたことをいい加減そろそろなにがしかひとまとめにしておこうかな、と思った次第でした。


ヴィイについては少なくとも日本では「いちばんくわしい」本になったと勝手に思っておりますので、早く誰かに「ただし!その同人誌は日本じゃあ二番目だ」と言ってほしいわけです。


これまでのblog記事を当社比280%ぐらい充実させてヴィイの正体を探ってみる1部、完全書き下ろしで日本でのヴィイの広がりを概観する2,3部という構成。
2,3部は各方面からの引用画像がたっぷりなのでネットだと色々めんどk……というわけで同人誌で出す所存。

なんと表紙はあの熊倉隆敏さんに描いて頂きました。表紙だけで2,3冊は買う価値あり!



◎日  時 :2013年5月5日(日)11:00〜16:00
◎場  所 :東京ビッグサイト 東4,5,6ホール
◎イベント :コミティア104
◎サークル :しかま家
◎スペース :の45b

◎タイトル :「ヴィイ調査ノート」
◎規  格 :A5・72ページ
◎末端価格 :日本円にしておよそ700円


というわけで、現地で「blog記事を見た」と言って下さった方は、10冊買うと11冊目無料キャンペーンを実施します。


……あ、通販とかしてほしい奇特な人がいたら考えますよ。

「お化けは死なない」ことについて

 妖怪はいるだろうか?
 ――いる、と思ったあなたも、いない、と思ったあなたも、何をもって「妖怪」と判断したのだろう。
我々は何となく妖怪というものを知った気になり、他人との会話でもお互いに意味を確認しあうことなく使い、それで意味が通じている。
しかし妖怪などというものは一般的には非実在とされており、その辺りにわかりやすい形で転がっているわけでもないため、アレやソレがそうだと指差してお互い確認し合うことは難しい。更には、様々な姿・性質のものがおり、そのバリエーションは実在の動物の比ではない(例えば目の数だけ考えても0から100までいるのだ)ため、これこれこういうものが妖怪だ、と一口に説明するのもまた難しい。では我々が妖怪を理解・認識するのは何によるのだろうか。何をもって妖怪というカテゴリを知り、そこに入れるものと入れないものを決定していくのか。
 それはおそらく、妖怪図鑑的なものである。「的なもの」と表現したのは、ここで指すものが必ずしも図鑑そのものとは限らないからだ。たとえば妖怪の出てくる漫画やアニメでもよい。とにかく見慣れぬ形をした奴等が何種類もいて、それらが全て釤妖怪釤とひとくくりにされているものである。その「妖怪図鑑的なもの」には多くの場合、図像と説明がセットで付されることとなる。何かの形で見た河童や天狗たちと一緒に奇妙な奴等が並んでいる。その状態を見て我々は、こうした様々な姿・性質を持った何か(そう、そいつらが生物かどうかすらも曖昧なのだ)が河童や天狗と同一カテゴリに属するものであり、妖怪と呼ばれる存在であると認識する。そのようにして私たちの頭の中にもだんだんと自分自身の妖怪図鑑=「妖怪データベース」が構築されていくのだ。
 作る側にも享受する側にもおぼろげな共同イメージがあって、それを引用して個人の妖怪データベースを構築していく。そしてそのデータベースに当てはまるものを次々と個人の妖怪データベースに取り入れていき、場合によっては自分のデータベース内部の情報を他に伝達する形で再生産する。妖怪を「○○である」と定義することはできないのはこのためである。
 しかし、自らのデータベースに登録されている妖怪たちから外延的に考えることでおぼろげながら見えてくる妖怪の特徴はある。たとえば「存在しないが昔は信じられていた」「妙な姿をし、不思議な現象を起こす」「誰かの作り話」ということ。しかし、これらは正確とは言えない。誤解、とは言えないまでも、妖怪を理解するにはある種の不足があると言える。妖怪の発生と定着のモデルケースを考えることで、いったい何が不足であるのか、を考えていきたいと思う。
 妖怪という存在が生み出される原因のうち最も単純なもののひとつは、「ある種の不可解な現象が発生し、その原因を設定したいという欲望が生じたため」である。例えば、川辺で誰もいないのに小豆を洗うような音が聞こえたとき、その音は小豆洗いの仕業、と設定することで一応の安心を得る。怪現象を起こす主体としての妖怪である。その設定が個人レベルではなく共同体レベルで認められた時、その妖怪は共同体に定着し、伝承として残っていくこととなる。その後別の者が同様の、あるいは異なった体験をし、それも同一の妖怪の仕業とされることにより、その伝承は共同体内部で強化されていく。先の小豆洗いの例で言うならば、同じ川辺で誰もいない夜中に歌を聞いたと感じた時、その歌も同じ小豆洗いの仕業とされれば、小豆洗いはやはり存在する、そして小豆を洗うだけでなく歌を歌うものなのだ、と理解される。
 上に出した小豆洗いの例のように個人から共同体という社会に吸い上げられるだけでなく、ある伝承を知った者が、伝承と同一の現象を体験したと感じてしまうこともあっただろう。小豆洗いの伝承を聴いて育った子供は、伝承される川のほとりを通った時に小豆を洗う音やその歌が聞こえないかとおびえ、あるいはそれを幻聴する。その事実がまた妖怪の存在を保証する。こうして妖怪は個人と社会を往還しながら強化されていくのだ。
 ここまでのモデルケースでは、少なくとも個人の体験中では不可解な現象は発生し、社会も現象の存在を許容している。また、妖怪そのものの存在も個人的体験・社会的承認を得ていることになっている。
 そういう意味では、妖怪はその時点では「実在」している。では、何者かによって創作された妖怪はどうだろうか。
 創作の妖怪は、当然のことではあるが、既にある妖怪、つまり「奇妙な現象の原因」を模して作られる。そのため、架空の妖怪にはその妖怪が起こす「奇妙な現象」が付いて回ることとなる。そして、その創作された妖怪が起こす現象が実際に観測された(あるいは過去現在未来のいずれかで観測されうると考えられた)時、妖怪は創作の域を超えて根付くこととなる。過去に観測されうるとはわかりにくい表現だが、換言すれば「昔はそういうことがあり得たかもしれない」との意味である。同じような伝説が全く離れた地域で「そこにあったこと」として根付いていることを連想してもらえばわかりやすいだろうか。このとき、「実在する/した」妖怪にとって創作者の存在は邪魔な情報になるため、意識されなくなる。特定の創作者が意識されれば、それはあくまで特定の個人の創意から出た虚構の存在、作り話として「実在」し得ないものと理解されてしまうためである。
 創作者の存在が意識から消え、現実世界において観測される/され得ると考えられた瞬間こそが、創作物が特定の個人の創作を超えて現実に根付いた瞬間である。こうした現象は、ある共同体Aに属する妖怪が別の共同体Bに(例えばAからBにやってきた個人により)持ち込まれた時も適用される。個人のもたらした妖怪が実在に至った時、個人の情報、創作や伝播の痕跡は隠蔽されるのである。こうして現実と創作の間でも妖怪の往還運動が発生し、強化・発達していく。
 ここまで、体験をベースとした妖怪の誕生と成長を見てきた。そこに先に挙げた妖怪図鑑が登場することで、妖怪の誕生・成長は大きな変化を起こすこととなる。
 妖怪図鑑の大きな特徴は、多くの場合図像と説明がセットであること、および全ての妖怪が並列に配置されていることである。
 体験をベースとした、もしくはそれを模した妖怪には必ずしも視覚的イメージ=外見があるとは限らないが、外見があるモノについては奇妙な姿をしている場合が多い。ひとつは奇妙な姿の目撃自体が怪現象であるため、奇妙な姿をしたものがすなわち妖怪と扱われたためである。また、怪異な現象を起こすものはその現象にふさわしい姿をしているだろう、という想像もあろうか。そしてもうひとつ大きな理由があるが、これは後述する。
 ともあれ、図鑑化することによって、それまで姿がなかった妖怪にも、前述のような奇妙な姿を持つものに倣った絵が付されるようになる。
また、奇妙な外見を持つ妖怪を集めた絵巻などが図鑑に先行して作られていたと考えられるが、そこでは伝承される妖怪たちの視覚的な怪しさを模して作り出された、絵のみで物語(=彼らが起こす怪現象)のない妖怪たちが誕生していた。それらは伝承の妖怪以上に奇妙な外見を強調されて描かれることが多かったが、これはそうでなければ絵としてのインパクトがなく、絵巻にのみ登場する妖怪が(伝承の妖怪たちに連なる)「奇妙なもの」であることが伝わらない、ということによるだろう。このことは図像のみ、あるいは図像が中心で説明が殆どないものにとって特に重要な理由である。
 そうした妖怪たちも図鑑に載るにあたって、他の妖怪たちと並列にする必要性から物語を与えられ、あたかも実在する/した妖怪のように扱われる。
 妖怪図鑑の発生と定着によって、妖怪は図像と物語のセットで捉えられるようになった。片方しかないものにはもう片方が付け加えられ、あたかも昔から「その伝承が実在して」「その姿と思われていた」かのように認識されはじめたのである。片方がもう片方に影響を与え、変化させることも少なからずあっただろう。図像/物語の往還によっても妖怪は変容してきたのである。
 さて。
 個人の妄想や錯覚などの主観、あるいは虚構や創作であったものが、その枠を越えて発展・成長し、妖怪となった時なにが起こるのか。
 民俗学の知見によれば、妖怪とは境界にいるものである。自分のいる世界と、その外側である得体の知れぬ世界・異界が分かれる線が境界である。そして橋、辻、村境などの物理的な境界・黄昏時などの時間的な境界は上記のような象徴的な境界でもあり、そこに妖怪は現れるとされている。
 一方でここまで見てきたとおり、妖怪は個人/社会、創作/現実、図像/物語、の境界に存在するものであり、二者間の往還運動により成長するものである。
 そしてもう一つ、妖怪が存在する大きな境界がある。実在/非実在である。創作/現実と似ているがもう少し大きい括りであり、つまり妖怪はすべて虚構かどうか、ということでもある。
 先に書いたように、現在、妖怪は非実在とする向きが大勢を占めているため、妖怪図鑑に掲載されることはすなわちある意味では非実在を保証されることでもある。しかし一方で妖怪図鑑に掲載されることは、(たとえそれが無知蒙昧で野蛮な前近代人にとってであれ)かつては誰かがその現象を体験した、そしてその現象を承認した社会があったということとも理解される。誰かの作り話ではなく誰もが感じ得る現象であったというある種の証明である。そうした意識が、何かの怪奇現象を体験したときに「妖怪の仕業では?」と一瞬でも考え、自らの妖怪データベースを検索する行為を生む。境界にいるということは、どちらにも属することができる、ということでもある。たとえ近代的意識が妖怪を非実在の側に追いやっても、そうした回路を通じてふとした瞬間に実在の方に染み出してくるのである。
 これは他の境界にも当てはまる。たとえば図像が失われても、物語が残ればそこからいつか妖怪図鑑に戻るに当たり新たな図像が考案される。たとえば共同体が崩壊しても個人のデータベースに残り、残った妖怪たちが妖怪図鑑に共有されれば共同体の外にもそれが根付くことになる。たとえばある妖怪が誰かの創作であると明らかになっても、それが既に「妖怪」として共有されていれば創作のはずの妖怪が引き起こす現象に出会う人もあらわれ、その妖怪のイメージを新たにするだろう。そして境界の両側を往還するほどその妖怪の周辺イメージは強固となっていくのだ。
 境界の存在である限り、片側が抑圧されてももう片側で命を長らえ、抑圧が緩めば何事もなかったかのようにいつか再び顔を出す。
 「楽しいな 楽しいな お化けは死なない」
 日本一有名な妖怪アニメは、その原作者が主題歌を作詞している。現代日本における妖怪の姿を決定づけたその人の言葉は、私が多言を弄して読み解いたことなどとっくにお見通しだとばかりに響くのであった。




2010年12月5日の文学フリマにて頒布した『b1228 vol.1 fictional』に寄稿したもの。
id:b1228 あたり参照。
ちなみに当blogの参加時の記事はこれ。id:anachrism:20101123

しばらく再販などの予定はないというので、エイヤッと公開してしまいました。
元のルールが注釈禁止だったので注釈はつけないことにします。
元のルールでは小説と評論の二本立てだったのですが、小説は公開予定ありません。

内容としてはこのあたりの進化系ですね。 id:anachrism:20090307


……ヴィイの話はまたそのうち。