祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

室井恭蘭「妖魅本草録」を読んだらしい、と言う話

室井恭蘭「妖魅本草録」(土耳玄書院、昭和31年)

先日、あの室井恭蘭の本を読むことが出来たので喜びの余り更新。
某図書館の書庫にある、郷土史家の旧蔵書コレクションの中にさりげなくひっそりと入っていました。
見つけた時は思わず変な声が出ました。別の調べ物で地下書庫に潜っていたのですが、本題をそっちのけにして読み耽ってしまいました。昼過ぎから閉館時間までメモを取りまくったものの、当然ながらすべてを記録することはできなかったのが残念、しかも出張先での休日の出来事だったので借りることも翌日再訪もできなかったのが更に残念でした。

……「あの」といっても、室井恭蘭は一部の好事家を除いてあまり有名でないと思われます(何せ広辞苑はおろか、天下のwikipediaにすら項目がないほどですし)。

室井恭蘭は、伝説の収集で知られた江戸後期の国学者であり、いくつもの著書を残しています。特に自らの出身地であった信濃地方の伝説・伝承に関しては、当時一、ニを争うほどの知識を誇っていたようです。*1
しかし、恭蘭はもともと精神的に危うい所があったらしく、伝説に傾倒するあまり精神の平衡を失い狂死したと伝えられています。
こうした最期を遂げたためか、はたまた特に晩年の著作については内容が余りに狂気めいているためか、恭蘭の著書についても長い間発禁、あるいは自主規制という扱いを受けてきました。
そのため、恭蘭は普通の人には忘れられた学者であり、一方長野の伝承などに興味のある好事家にとっては、彼の本は名のみ知られているものの内容については知るもののほとんどいない、それ自体が伝説のような本だったようです。

そんな恭蘭の著書のうち、比較的見つけやすいのが、今回取り上げた「妖魅本草録」。
原本は文政3(1820)年出版ですが、土耳玄書院から昭和31年に復刊されています。学者でない好事家をも対象とした一般向けを意識しての復刻だったため、かなり読みやすく改められているようです。しかし少部数しか刷られていないこと、現在は出版社が存在せず、この本自体も国会図書館にも所蔵されていないことなどから、読むことはかなり困難。原本はそれに輪をかけて入手困難であることを考えると、古書店などで見たら迷わず購入するのがオススメです。このレベルで「比較的手に入りやすい」となってしまうのが恭蘭の恐ろしいところです。恭蘭晩年の著作である「信濃秘志」などは、復刻は当然存在せず、原本も2冊ほどしか現存しないとのこと。

……と、この辺りまでは8割がた「序」と「解説」からの情報でした。

この本は一言で言えば「絵入りの怪しい博物事典」。
「和漢三才図会」や「本草綱目」のような本草書の体裁をとっており、鳥獣部・虫魚部・草木部・金石部の四部構成で、各項目の中で80、計320の事物を紹介しています。文体は漢字カナ混じりの平易かつ簡潔なもので*2、各項目には素朴な線画が添えられています。
この本で特徴的なのはそれら全てがあまり知られていないような事物であるか、あるいは有名な生き物などであっても奇妙な説明が付けられていること。まさに「妖魅本草録」というタイトルに相応しいと言えます。ちなみに「妖魅本草録」というタイトルは、交流があった平田篤胤の「古今妖魅考」を意識したようです。

こうした事物や解説は恭蘭個人の創作というわけでもなく、珍しい事物や俗信を図鑑的に拾い上げたものなのではないかと思われます。例えば鳥獣部の"鶉土竜"や虫魚部の"腐艸螢"などは七十二候の俗信*3が実在することの証明として紹介されていますし、金石部の"子泣石"はおそらく小夜の中山の夜泣き石*4と同じものだと思われます。
興味深いのは草木部の"薬缶蔓"。ヤカンズルあるいはヤカンヅルというのは木の上から薬缶が下がってくるという妖怪*5ですが、恭蘭は人が通ると下がってくる蔓性の植物として記録しています。名前からの連想か、はたまたそう言う伝承があったのか、気になるところです。

このように該当する伝説や俗信がわかりやすいものもある一方で、"掴踵石"、"月羽虫"、"立歩魚"、"弾鶏"、"人似草"など他に類例を思いつかないような項目も多見されます。恭蘭がこれらの知識をどこで得たのか、またこれらがどこに伝承されているものなのか、ほとんど書き記されていないのが惜しまれますが、貴重な資料であることには変わりないと思われます。*6

と、手に入れた本の感想をとりとめなく勢いに任せて書いてきましたが、多少まとめめいたことを書いておこうかなと思って書いてみることにします。

「妖魅本草録」は本草学(博物学)の<全てのものを収集・命名・解説・分類・陳列する>といった目的を、怪しいものだけを対象に行ったものだと言えるでしょう。*7本草書のうち対象が細分化されたものと見ることが出来る一方で、怪しいものの絵と説明をひとつひとつ羅列していくという様式は、妖怪という視点から考えるならば、鳥山石燕画図百鬼夜行」(1776)*8や桃山人「絵本百物語」(1841)*9の妖怪図鑑の流れの近くに位置づけることが出来るのではないか、と考えています。絵が中心の図鑑と絵が添えものの絵入り事典を単純に比べるわけにはいきませんが、絵を見せるのが主目的であっただろう石燕からそれぞれの妖怪絵に長い物語が付属した桃山人の間に、「妖魅本草録」や同様の書物が影響を与えていると仮定するのはあながち無理な話とも言えないのではないでしょうか。

こうした他との比較もさることながら、「妖魅本草録」を特徴づけているのは先に挙げたように類例のない珍しい事物の列挙、そしてもう一つは、書き手の本気らしさ。「実見セリ」という言葉が何度も使われていること、具体的な事実としての記述等、単なる伝承ではなくあくまで実在する事物として書かれているため、存在しないことが分かっていても読みながらリアルさを感じていました。先述の「画図百鬼夜行」や「絵本百物語」があくまで架空であることを共有前提にしていたのとは対照的に、「妖魅本草録」は各項目が実在する事物であることを強調してやみません。これは本草書という体裁であること、著者が学者であること、何よりも著者個人の資質によるものなのではないかと。

わかりづらいのでもっとまとめめいたことを書きますと。

「妖魅本草録」面白かったです。
でも皆様が面白いかどうかは保証の限りではありません。
でも面白いよ。

という話。これを言うために長く書きすぎですね。

【余談】
ちなみにあの漫画家諸星大二郎の作品でもこの本が元と思しきネタがいくつかあり、諸星先生のアンテナの高さには感心させられることしきりです。


〜〜〜追記〜〜〜

昨年、今度は入り浸ってメモ魔としてメモりまくろうと思い、某地方の図書館に電話したのですが電話が通じず。
調べてみたところ、台風で図書館が土石流に埋もれて半壊状態になってしまったのだとか。
資料はほとんどがなくなるかダメになってしまったという話。
図書館の作りからして、多分書庫もダメだったのでしょう……。
しかし、機会があれば確認に行きたいとは思います。

*1:ちなみに『信濃奇勝録』の井出道貞が並び称されていたとのこと。

*2:復刻ではそうなっていた、と言うだけで、原本が仮名交じりか漢文かは残念ながらわかりませんが。

*3:この辺り参照。清明次候の「田鼠化為〓(如の下に鳥)」と芒種次候あるいは大暑初候の「腐草為蛍」ですね

*4:この辺り参照。

*5:鬼太郎ではなぜか何でも吸いこむ妖怪として描かれていたので、そっちで覚えてらっしゃる方も多そうです。

*6:そのうちこれらの項目のうち特に面白そうなものでblog記事を書きたいところですが、関連するものを探すのが大変そうな気がします。

*7:この辺り、以前この記事の註8辺りで少しだけ書いた「妖怪図鑑的なものへの欲望」=わけのわからないものを収集・命名・分類・一覧化etcしたいという欲望と絡めて語りたいのですが、まだうまくまとまっていないので割愛。

*8:鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

*9:桃山人夜話―絵本百物語 (角川ソフィア文庫)