祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

帝都東京・魔法陣レクイエム物語

今日は都市伝説から始まる、ランドスケープなお話。

プロローグ

渋谷の西郷像(正しくはその連れている犬)が皇居の鬼門を守り、ハチ公が裏鬼門を守っている、というのはよく言われることのようで、昨今では「信じるか信じないかはあなた次第です」の人にも使われたようですが、上野と渋谷に鎮座する犬たちは単に「狛犬」というよりは、より広く邪気を払うもの(中国では地厭、あるいは犬牲と呼ばれる)として存在していると考えるのが妥当でしょう。(特に貴人が死んだ場合に死後の世界の案内人として犬が選ばれていたことに留意すべきです)

西郷隆盛の秘密

さて、ではなぜ上野にいるのが西郷隆盛でなければならないのか。逆に言えば、上野の犬はなぜ西郷隆盛を連れているのか。それはひとえに、西郷隆盛が「御霊」だったから、と言えるでしょう。 強い恨みを持って死んだ者、特に戦争や政争に敗れて非業の死を遂げた者の霊は強く祟るが、それを拝み祀れば強力な守り神となる、というのが御霊信仰のごく簡単な説明です。明治新政府と戦い、西南戦争に敗れて死んでいった西郷隆盛には御霊の素質があったと言えるでしょう。だからこそ上野に銅像を作って斎き祀り、皇居を守護する守り神としたのです。死後も「星になった」と言われるなど信仰を集めるだけの素地を持っていた西郷は特に御霊としてうってつけだった、と言えるでしょう。 上野は江戸時代から寛永寺が建てられるなど、鬼門の守りとして意識されていた土地でした。"東叡山"=東の比叡山の名を持つ寛永寺は仏教による幕府鎮護を目的として建立されています。 明治時代となって神道に基づく国家が形成されたときに、仏教での守りは相応しくないと考えられ、神道の思想である「御霊信仰」を基盤とした鬼門の守りが必要とされたのでしょう。

渋谷の御霊

さて、では、裏鬼門たる渋谷には犬に並ぶべき御霊はいないのでしょうか。 私の考えでは、ハチ公に並ぶ渋谷のもう一つの待ち合わせ場所である「モヤイ像」がその御霊なのです。 いったいモアイが何の霊なのか、と訝る向きもおられるでしょうが、モヤイというのはあくまでモアイをモデルとして作られたもので、モアイと同一ではありません。モヤイについては、そのものの歴史的バックボーンではなく、外見そのものにより深く着目すべきでしょう。そして、モヤイ像の大きな特徴が、両面に顔があること。

――バス停側とコインロッカー側で、2種類の顔を持つのも特徴となっている。
wikipedia モヤイ像「渋谷駅のモヤイ像」の項より)

これは恐らく、「両面宿儺」の姿であると考えられます。両面宿儺とは、上古の飛騨にいた怪人であり、朝廷に従わず、民から略奪していたため退治されたという伝承があります。おそらくまつろわぬ民と天皇を中心とする都の政治的・軍事的対立を象徴したものでしょう。この両面宿儺、頭の前後に顔が二つ付き、腕と足が四本、という姿をしていたとか。手足はともかくも、前後に顔が付いているという外見はモヤイ像と同一です。
彼はまつろわぬ者として退治されたという伝承がある一方で、飛騨・美濃では信仰の対象ともなっています。ここで注目したいのが飛騨という土地の位置。飛騨は当時の都である奈良、あるいは直後の都京都といった中央からは東北に位置します。これは後述のように、モヤイ=両面宿儺が渋谷の守りに選ばれた大きな理由なのです。

異邦人と犬

西郷隆盛と両面宿儺、どちらも戦争・政争に敗れた御霊であり、一方では信仰を集めていた=神として強い力を持つ存在であったと考えられます。また、それ以外にもこの二人が地方のまつろわぬ異民族であったことが共通点として挙げられます。実際に民族が異なるかどうかはともかく、薩摩隼人や化外の民であった彼らは、天皇中心の国家システムから外れているという意味で、単なる御霊より更に荒ぶる祟り神であると考えられるでしょう。なぜそのような恐ろしい霊を帝都の守りに据えようとしたのか。
実のところ、中央に逆らう異民族を逆に地方からの守り、あるいは聖域の守護に据えるという考えは中華文化圏には多く存在します。中国の歴史書「春秋左氏伝」には、四凶という地方の荒ぶる神を四方に追放し、それらに国に侵入する魑魅を禦がせたという記事があります。これは異民族とその神の力で別の異民族や目に見えぬ悪から中央を守った、という意味に他ならないでしょう。また中国で副葬品に用いられた鎮墓獣と呼ばれる焼き物は、獣の体に胡人の顔がついており、やはりこれも異民族に守りを任せています。前述のように犬は貴人の墓を守るものとされていますが、胡人らの異民族が犬と同じ祓除防御の役割を持つと考えられたことをここで見て取れます。
日本にも同様に異民族を守りに据える信仰は根付いています。それが端的に表れているのは、社寺の狛犬でしょう。狛犬は本来獅子と犬のセットであり、それぞれ唐獅子・狛犬=唐の獅子と高麗の犬と呼ばれます。どちらも異国の者、異民族を守りとする思想に依るのでしょう。
また先に挙げた隼人は宮門の警備を任され、犬吠えといって犬のような声を出して宮門を守護したとされています。異民族による守護は日本でも古くから根付いていたのです。
先ほどから犬(あるいは獣)と異民族が関係する伝承が多く挙がりますが、犬と異民族のセットには敵や邪悪を跳ね返す力、聖域を守る力があると思われていたのかもしれません。
さて、先述した疑問、何故渋谷の守りに他ならぬ両面宿儺を選んだのか。ここまでの回答に加えてもうひとつの理由、その一つはやはり上野の西郷像にあります。西郷隆盛は都の鬼門=北東を守る御霊。そして彼は西南戦争を起こしており、その出身も都のはるか西南です。一方で両面宿儺は裏鬼門=南西を守り、当時の都からは東北である飛騨にいました。
つまり、彼らは自らのいた方向から分断され、全く逆側の守りとされたのです。恐らく再び反逆者として自らの土地の持つ方角から力を得ぬよう、また所縁のない方向の魔と心おきなく戦えるよう、真逆に配置されたのでしょう。この場合の方向は物理的なものではなく象徴的なもの、つまり都との関係性を指すため、当時の都と現在の都の位置が変わったことはさほど大きな問題ではありません。

結界の意味

では。
なぜ両面宿儺=モヤイ像の設置は昭和55年になって行われたのか。
上野の西郷隆盛像が明治31年に造営され、ハチ公像の建立が昭和9年、一度戦争に供出されて再度の建立が昭和23年。西郷像からハチ公までの期間の長さも気になりますが、これは渋谷区が昭和7年に成立、人口が増えるとともに悪い気も溜まりやすく、あるいは流れ込みやすくなったと考えられたからでしょう。
戦争を経てすぐに再建されたハチ公に対し、モヤイの設置はその実に32年後。いったいその間に何があったのか、と考えた時、渋谷という土地およびモヤイの役割と絡めて考えると一つの答えが導き出せます。

ここまで書いてきたモヤイ(および西郷の御霊、そして犬たち)の役割を一言で言うなら、東京を邪気・悪魔から守ること。
モヤイを渋谷に設置した目的はまさにそこにあるのですが、東京を目に見えぬものから守っている呪術的有識者とでもいうべき人々は、一体何を恐れていたのか。
それは、昭和37年にある封印が解けてしまったことです。この封印が解けても恐らく最初のうちは世の中に大きな影響を与えることはなかったため、呪術的有識者も見過ごしていたのでしょう。しかし、それは後に大きな影響を及ぼした、その意味で彼らは遅きに失したと言えます。


勿体ぶるのはやめましょう。
昭和37年に解けたのはある悪魔の封印、それも10万年にわたる強力な封印でした。そしてやっとその脅威に気付いた呪術的有識者たちが両面宿儺を設置した時には既に悪魔は十分な力を蓄えており、設置の2年後の昭和57年、とうとう本格的な活動を始めます。
そう、モヤイが封じようとしていたのは地獄の都ビターバレー地区こと渋谷を出身地とする悪魔、デーモン小暮。現在の称号で言えばデーモン閣下です。帝都東京を守護する力がいかに強力であったにしても、10万年の封印を経て目覚めた閣下には無意味だったと言えるかもしれません。なぜなら両面宿儺の封印から19年後、西暦1999年12月31日に彼の率いる教団"聖飢魔II"は東京どころか地球を征服したと宣言しているのですから。


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2010.04.09追記

はい、そんなわけで毎年恒例第二回BANG節ネタでした。
まぁ、ここじゃ大体こういう与太ばっかり書いてるので、いつも通りという説も。