祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

「瞼を持ち上げて呉れぇ、見えないわい!」 〜ヴィイの話 2

今回は前回の続きで、ヴィイのお話その2。

ちなみに今日、2/29は前回に出た聖人「聖カシヤーン」の記念日です。速水螺旋人さんの『靴ずれ戦線』やら大沢在昌さんの『魔物』あたりに出てきますので、興味ある方はご一読を。

というわけで今回も、基本的に本や論文を一部引っこ抜いてテキトーに要約し、【】で囲って私の無駄話、というスタイル。出典明記、自分の文章が主で引用が従、引用部分がどこかわかる明らかに、とかそういう引用ルールぶっちぎりですが、まぁ雰囲気でひとつ。

0.前回のあらすじ

【さて、前回はロシアの作家ゴーゴリの作品「ヴィイ」に登場する妖怪(?)ヴィイの姿には元ネタがあると思われる、というお話をしました。ノーム(地下の小人)たちの親玉で、地面まで届くような長いまぶたを持ち、一人では目が開けられないヴィイ
ロシア・ウクライナには視線に恐ろしい力を持つ悪魔的存在が伝わっており、その多くは長いまぶたやまつ毛や眉毛を持つために一人では目を開けられません。(熊手で目を開けさせるパターンが多いようですが、ヴィイにはその属性は継承されていません)。
また彼らのうちいくらかは地下や地獄にいる、といわれていますが、ヴィイがノームの親玉であり、登場時には全身が土にまみれている=地下から出てきたことを連想させるのは、こうした伝承を踏まえてのことである可能性があります。
しかし、ヴィイという存在の特徴はそれだけではありません。
今回はストーリーのうちヴィイにかかわる部分やロシアの伝承などからヴィイの伝承に迫ってみようと思います。】

1.似たようなストーリー

【まず、前回もご紹介したとおり、「ヴィイ」のストーリーでは魔女が話の発端となります。
(ストーリー超約訳:主人公の若者ホマーが死んだ魔女のため教会で三日間祈祷をする羽目になり、毎晩棺から出てくる魔女に襲われる。円を描いてその中で呪文を唱えていると魔女とその仲間の化物は円の中を見ることも入ることもできないので二日目まではことなきを得たが、三日目に魔女の呼ばれたヴィイが円の中をのぞき、結界を破ってホマーにとびかかった)】

諫早勇一ゴーゴリの『ヴィイ』の材源をめぐって」*1 や、鈴木晶「「すべての女は魔女である」ことについて」*2によれば、ロシア、ウクライナフォークロアには「死んだ魔女のために三晩教会で祈祷し、魔女が深夜に棺から出て、他の魔物および「最年長の魔物(魔女)」あるいは「魔界の王」の助けを借りて男を攻撃する」というほぼそのままの話があるようです。
そうした話では、助言者から授けられた知恵のおかげなどで難を逃れるようですが、ヴィイでは主人公であるホマーは助かりませんでした。
フォークロアでは最年長の魔物・魔女や魔界の王であったものをゴーゴリヴィイとしたことについて。実際にそうした伝承があれば面白いのですが、見つかっていないようです。前回挙げた「イワン・ブィコヴィチ」には魔女の夫が地下に住み、眉毛とまつ毛で目を開けられないとありますので、このあたりと結びつけたのでしょうか?】

2.ノーム

ゴーゴリは地下の小人であるノームの親玉としてヴィイを設定しましたが、そもそもロシアにノームは存在するのか。ドイツ語・ロシア語ではグノム、英語ではノームのようですが、面倒なので引用で別の表現している場合以外はノームで統一。】
そもそもロシア・ウクライナにノームは存在しない、というのが大方の見方だったようです。
理由として、スラヴ人にとって大地が特別な神格だったためである、ということが推測されています。*3
大地〜母なる湿潤の大地〜(マーチ=スィラー ゼムリャー)はキリスト教以前のスラヴ人にとっては最大の崇拝対象であり、その大地信仰はキリスト教時代になっても根強く残ったようです。
たとえば伝説等で、勇士たちが龍を撃ち、龍の血にまみれそうな危険に直面した際、(潤える母なる)大地に四方に割れて血を飲み干すよう願うと、大地は割れて血の流れを飲み込む、という描写がみられるようです。*4によれば、「地中の宝を守る醜怪な小鬼」がウクライナフォークロアにも知られてはいる、とのこと。しかしいずれにせよ、その名称はウクライナ語で<土鬼>を意味するもので、「グノム」がウクライナで知られた名称ではなかったことは確かのようです。
では、ノームがほぼ知られていないウクライナの伝説とされるヴィイは、どういう経緯でノームの親玉とされたのか。
まずノームはロマン主義文学で流行したドイツ的な妖怪であり、ゴーゴリもその影響を受けていたのではないか、という理由が考えられます。*5  たとえばゴーゴリの「ヴィイ」以前の作品でも比喩としてグノムが登場していますが、それらはロマン主義文学の影響であり、ヴィイがノームの親玉という設定もそこから着想したのであろう、ということです。
また、ロマン主義文学の中でも特にヴィイの材源となったのはドイツの作家フーケーの1811年の作品『ウンディーネ』(水妖記)ではないか、ともされます。*6
ウンディーネ』の第4章には小柄で土色の顔で大きな鼻を持ったグノム(ロシア語訳、ドイツ語原作ではコボルド)の首領、金属の塵埃をかぶった長い指で騎士を指さすグノムたちが登場するのですが、これがヴィイのイメージに大きな影響を与えたのではないか、とのこと。
ちなみに『ヴィイ』の話の中には、地面が海のようになりその中で水精(ルサールカ)が泳いでいるのが見えるというシーンがありますが、『ウンディーネ』には地中が透けてコボルトたちの遊んでいる姿が見えるシーンがあり、ここにも類似が見られます。
ウンディーネ』のロシア語訳は1837年刊行(第3章までの発表が1835年)であり、「ヴィイ」発表は1835年、執筆は1834年と予想されるため、『ヴィイ』の元ネタが『ウンディーネ』というのは若干矛盾しますが、訳者ジュコフスキイとゴーゴリには交友関係があったため、刊行以前に見た可能性もある、とのこと。
一方で諫早氏の前掲論文では、ヴィイは本当にノームなのか、という疑問も呈されています。
一般的なノームのイメージは「地中の宝石や貴金属などを守る小人で、皺だらけの顔と長いひげをもつ腰のまがった老人」(諫早前掲)といったところです。
こうして見るとヴィイのノームとの共通点は土にまみれた全身≒地中を連想させること、ずんぐり≒小さい、くらいですが、ヴィイは最初の版では巨人であったものが後に小人に修正されており、ゴーゴリヴィイに対して明確な【特にノームと重なるような】イメージを持っていなかったのではないか、と考えられます。
諫早氏は地の精というグノムの外来的イメージにゴーゴリの想像力を働かせてできたのがヴィイであると結論付け、そこにまぶたなどフォークロアのモチーフ、『ウンディーネ』のグノムの首領のイメージが介在する余地がある、としています。
またゴーゴリの他の作品で、大地と死者(祖先の悪霊)の結びつきを想起させるものがあり、地に根付いた祖先の悪霊、とくにゴーゴリ自身の死んだ父のイメージやゴーゴリの個人的心理的要素がヴィイに影響しているのではないか、ともしています。

3.その他諸々

【ノームがなんか妙に長かったので、以下簡単に。ヴィイはまぶたが長くて一人では目を開けられなかったわけですが、先述のように、スラヴ・フォークロアにおいて類似の奴等は、どちらかと言えば濃くて長いまつ毛や眉毛によって目を開けられない方が一般的のようです。】
伊東氏の前掲論文によれば、スラヴ人の俗信では身体的異常は悪魔的存在の属性と考えられ、濃すぎる体毛もそのひとつだそうです。例えば<濃い眉毛>、<鼻を覆うほど長く伸びた眉毛>などが挙げられ、これらは例えば夢魔、魔女あるいは妖術師、人狼のしるしとされました。南スラヴではこのような眉を持つ目は「狼の目」と呼ばれ、「邪視」をもたらすものともされたとか。以前に挙げたヴィイと似た奴等、視線で街を滅ぼしたりする奴等を彷彿とさせます。
ヴィイを見るに、ゴーゴリはそうしたスラヴの悪魔的存在について知識があった可能性が高いと思われますが、では何故フォークロアにあるように「まつ毛」や「眉毛」でなく、あえてヴィイの「まぶた」を長くしたのでしょうか。
ここには、「ヴィイ」という単語が何を意味するのか、という問題も関係してきます。
これまでの研究によれば、「ヴィイ」はウクライナ語でまつ毛を指す女性名詞「ヴィヤ」を男性形に変えたゴーゴリの造語の可能性が高いようです。これはここまでに出た「まつ毛の長い悪魔的存在」というフォークロアを踏まえてのことと考えられます。
更に、ウクライナ語でまぶたを表す「ヴィーコ」「ポヴィーカ」は「ヴィヤ」「ヴィイ」と音韻の上での連想が働くため、まぶたを長くした、という風にも考えられるようです。
【大雑把に整理すると、長いまつ毛や眉毛を持つという悪魔的存在を元に作られたと思しき妖怪のまぶたが長くて名前が「まつ毛」の変形、ただし「まぶた」とも音が似ている。ややこしい。】

さて、では結局なぜゴーゴリは「ヴィイ」という名前にしたのか。
伊東氏は、音韻的連想をその重要な理由として挙げています。たとえばヴィイ登場の場面では「ヴ」という音で始まる単語*7が並んでいます。「ヴィイ」はこうした音の連続を意識していたようです。特にヴィーヂェチ(見る)―ヴェーコ(まぶた)―ヴィイという音を念頭に置いていたのではないか、というのが伊東氏の見解です。ヴィイのまぶたが長いのも、ロシア語の眉毛(プロヴィ)やまつ毛(レスニツィ)では上記のような音の系列に加われないからではないか、とのこと。
まぶたの長い妖怪のウクライナ語での語源が「まつ毛」でも、ロシア人読者にとってはあくまで不可解な音表象に過ぎず、音のシンボルとしての機能の方が重要であったのであろう、と考えられます。

4.長いしわかりづらい、まとめろ。

【はい。】
【えー、前回書いたように、スラヴの民話にはヴィイそのものと似た妖怪(眉毛やまつ毛やまぶたが長いせいで眼をなかなか開けられないけど目を開けてこっちを見られたら大変)はいますし、ヴィイのストーリー全体と似た話も存在しますが、それらを結び付けたというのは今のところゴーゴリの独創と思われます。】
【一方で、ゴーゴリヴィイをノームの親玉、としていますが、スラヴ方面ではノームは存在しないか、少なくともマイナーのようです。おそらくドイツ・ロマン主義文学、特にフーケーの『水妖記』あたりからイメージを持ってきたのではないでしょうか。しかし、ヴィイはあんまりノームらしくなく、ノームを元にゴーゴリの個人的想像力(フォークロアとか、フーケーとか、死者との結びつきとか)を乗っけたものじゃないかと思われます。】
【で、ヴィイウクライナ語の「まつ毛」の変化形みたいだけど、姿としてはまぶたが長い。元ネタになった悪魔的存在は眉毛かまつ毛が長い。ややこしいけど、これはロシア語で文章を書いたときに「ヴ」で始まる音が重なるように考えた結果みたいですよ。】

【結局「見えないものを見破る」というヴィイの能力は元ネタがあるのかないのかは今のところわからずじまいでした。そこが要だと思うのに、残念。】

【次回予告! ここまでで拾い損ねたネタがあったらおまけ的に書くかもしれないよ! あと、描かれたヴィイ(主に水木しげる)について語るかもしれないよ!】

*1: 『人文科学論集』第15号 信州大学人文学部、1981

*2:ユリイカ』第16巻第8号 青土社1984) http://www.shosbar.com/works/crit.essays/subetenoonnnaha.html 

*3:鈴木前掲

*4:アファナーシェフ「スラヴ諸族の詩的自然観」(1865-)))またスミルノーフの「古代ロシアの聴聞僧」(1913)では1901年の報告でもペチョーラ河畔の分離派教徒は正教の司祭に罪を告解せず、「神様と潤える大地に告白する」と答えたとのこと。大地はあくまでも聖なるもので大地そのものが人格化されていたから下級霊の住める場所ではなかった、と考えられています。 一方で伊東一郎「《ヴィイ》――イメージと名称の起源」((『ヨーロッパ文学研究』第32号 早稲田大学文学部、1984

*5:伊東前掲

*6:伊東前掲・鈴木前掲よりカーリンスキィの説

*7:ヴォルク(狼)、ヴダリー(遠くに)、ヴィチ(吠える)、ヴェーコ(まぶた)、ヴィーヂェチ(見る)など