祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』を倒すための御題いくつか

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』(内容はこのエントリ参照)につき、補遺の作成後に集まった情報などを含め、未解決の問題などを雑多に記載しておきます。
メモなので読みづらいかと思いますがご容赦ください。
どなたかにこれらを調査して頂き、ヴィイ本が「日本でいちばんくわしい」の座から引きずり降ろされることを切望しております。
なお章立ては本編に従っています。

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ヴィイの映画化について。

2014年のロシア映画ヴィイ3D」は2015年に「レジェンド・オブ・ヴィー 妖怪村と秘密の棺」という邦題でDVD化、株式会社トランスフォーマーより発売。
(販売版は英語+字幕。レンタル版は吹き替え?)
http://www.transformer.co.jp/products/TMSS_315.html

また8月8日からの1週間、京都みなみ会館で単館上映。
http://kyoto-minamikaikan.jp/archives/21870

字幕版での言語が英語であることから、日本語版は英語版が元になっていると思われる。
(ロシアには映像作品等の輸出規制があるとの情報あり、その関係か?)
なおロシア語版に比べて日本語版は内容が一部カット、またラストシーンが付け加わっているが、英語版での変更か日本独自の変更かは不明。
このあたりについて正確な情報を調査、整理する。

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上記映画の続編「ヴィイ2 中国への旅」にヴィイが出てくるのかどうかを確認する。

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ヴィイ本に書いたヴィイが原作の映画「血ぬられた墓標」「妖婆 死棺の呪い」「デモンズ5」「Sveto mesto」「Ведьма」「レジェンド・オブ・ヴィー」を見比べたら面白いのでは。

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20世紀初頭の1909年、1916年にヴィイが映像化されていたらしい、という情報あり、詳細を知りたい。ロシア帝国時代なのでフィルムなんぞ残ってないかと思いますが、スチールか概要の分かる文章だけでも。1909年版はワシリー・ゴンチャロフ監督、1916年版はウラジスラフ・スタレーヴィチ監督のようです。


I
全体的には、ウクライナおよびロシアなど現地、あるいはアメリカなど進んでそうな国の研究を掘ればヴィイ本でノータッチの部分が出てくるのではないか。

個別具体で言うと

ブニャク/ブニオについて(どうでもいいけどフニャコフニャ夫っぽい)は、遊牧民のリーダーが妖怪なり吸血鬼になるまでの過程をもう少し詳細に調査できると良い。
また、ゴーゴリがブニャクのことをどの程度知っていたか、ゴーゴリの創作ノート等が調べられないか。

p8 ソロディヴィイ・ブニオが滅ぼした町があったボホト(Бохот)はボヒト(Бохит)では?
ロシア語wikipediaにもあるけど、何らかの聖地っぽい。
ここについて伝承を拾うと、何か見つかるかも。

p19 王女が巨大に育てた蚤の正体をまぶたを持ち上げさせたブニャクが見破っている。
ロシア近辺に類似の民話が複数あることを確認したが、
この場合見破る(ブニャクの役目をする)のは悪魔であり、まぶたを持ち上げるくだりはない。
見破られるのは巨大に育てた蚤の皮。
ブニャクと悪魔が類似品のようであるが、類似の民話をもう少し拾えば何かわかるのでは?

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聖カシヤーン(p27〜)については、民話キャラとして、魔物として、中でも邪視を持つ魔物として、という3段階で、きっちり分けて考える必要があるのかも。
何故カシヤーンが魔物化したか、というところ、そして邪視を持つとされた理由について「ロシア民俗夜話」以上に何かわかるといいな。

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インターネットで調べると、ヴィイが神様扱い、特にネオ・ペイガニズムの文脈でペルーンとかと並んで神々の一人として登場したりしている。そしてНий(ニィ)という神(地下の神らしいが詳細不明、インターネットでは海の神としているものもある)と 習合していたりする。
p30辺りから書いたとおりヴィイを神様とみる流れはアファナーシェフ『スラヴ人の詩的自然観』(1865)からあったけど、「流刑の神々」みたいな考え方がいつからあって、いつロシアに入り、どこに影響を与えたか。
そして、ヴィイは何故神格化され、それが今に至るまで残っているのか(俗説レベル・信仰レベル)

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不死身のコシチェイにも重いまぶたを持つというパターンの伝承があるとのこと。p36あたり参照。
どういう地域で、どういう形の話の中で残っているのか。

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吸血鬼ヴィイ(p55)についてはもうちょい調べる価値があるんじゃないだろうか?

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インターネットでВийで検索すると出てくる絵について、出所を確かめるだけで十分いい仕事になりそう。

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図版で言えば、「ヴィイ」は現地で絵本になっているのでその辺りもチェックしたい。

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その他、ヴィイ類似伝承についてまだまだあってもおかしくないので調べる。


II
ヴィイの翻訳を全部見比べたら面白いのでは。

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最初の和訳である伊吹山次郎の時点で「ヴィイ」が創作である旨意識されていた。この情報の出所はどこだったのか? 現地の全集か何か?

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「妖怪画談全集」のヴイーの絵の出所はどこなのか。

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今後新たなヴィイの絵が現れるとすればカードゲームかソシャゲあたりではないかと睨んでいるので、その辺りに目を光らせておくと良いのではないか。


III
水木しげる漫画大全集 012 貸本漫画集12異形の者他』(講談社、2015)資料ページに「異形の者」未使用コマについて書かれている。補遺で紹介したコマに加え、その直前と思われる「ごめん 一夜の宿をお願いしたい」と僧侶が声をかけるコマ、空き家を描いたコマが2コマが残っているようである。全集中には後者につき「空き家ばかりの廃村に迷い込むという設定」と書かれている。これらは「ヴィイ」の前半部分の翻案であろうと思われる。なお補遺で確認した資料では「やまんば」を「妖婆」と書いているが、全集資料中の同コマでは(「異形の者」本編と同じく)「妖姥」としているなど、植字部分にやや違いがある。この詳細について。また全集では「この段階では舞台は越後ではなく、下北であった可能性が高い。」と書かれているが、そうであるとすれば妙智寺の人魚のミイラ写真を見たことが翻案のきっかけではないということか? 「異形の者」には「一葉の妖怪のミイラの写真からこの物語を想像してみたのです。」と書かれている。

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水木全集で書かれるまで気にしていなかったが、「死人つき」発表と「妖婆〜」製作は同年である。何か連動するようなきっかけがあったのか(多分ない)

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埴谷雄高武田泰淳ヴィイに喩える文章を書いている。また武田泰淳は「異形の者」というタイトルの小説を書いている。そしてそれらよりも後に水木しげるが「ヴィイ」を翻案した「異形の者」を描いている。武田泰淳の「異形の者」が僧侶の話であることも含め、何か関係があるか。

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思いついたら追記します。