祭竒洞

姑らく妄りに之を志す。

『増補改訂版 ヴィイ調査ノート』(仮題)のお知らせ

うららかな妖気に春の訪れを感じ心も浮き立つ今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

お蔭様で好評を頂きました『ヴィイ調査ノート』ですが、この度増補改訂版を出すことと致しました。

ヴィイ調査ノート』については過去のエントリ参照ですが、ざっくりと説明いたしますと、


◎ロシアの文豪ゴーゴリ怪奇小説ヴィイ」。水木しげるの漫画「異形の者」
 「死人つき」の翻案元であり、一部でカルトな人気を誇るソ連映画
 「妖婆 死棺の呪い」(別題:魔女伝説ヴィー)の原作でもあるこの作品に
 登場する魔物がヴィイである。


ヴィイは地面までつくほど長いまぶたを持ち、そのまぶたの奥に隠された目は
 普通の魔物が見ることが出来ない結界をも見通すことが出来る。
 ゴーゴリは、この題材を民話からそのまま取った、としている。


◎識者の間では、この魔物はゴーゴリの創作であり民話そのものには登場しない、
 という意見が優勢であるが、ゴーゴリの故郷であり「ヴィイ」の舞台でもある
 ウクライナを中心に、ヴィイを髣髴とさせる伝承が数々残されている。
 たとえばそのうちの一つ、ロシア正教の聖人カシヤーンは速水螺旋人氏の漫画
 『靴ずれ戦線』にも登場する。
 ヴィイの背景には一体何がいるのか。


◎一方、昭和日本では妖怪図鑑ブームの中で世界の妖怪が取り上げられ、
 ヴィイも様々な外見でそこに登場する。
 その描かれ方は大きく分けて三つほどの系統があった。
 また、水木しげるは漫画や図鑑にヴィイを登場させるが、
 その姿にも媒体・時期によっていくつかバリエーションがあった。
 その理由とは。


ヴィイの正体と日本での広がりに迫る、(多分)空前(おそらく)絶後、
 一冊丸ごとヴィイの本!
ソビエトロシアでは、同人誌があなたを見る!」

というような感じの同人誌でした。
頒布開始時点ではかなり精一杯のつもりだったものの、
本を出した瞬間から更に新たな情報が集まってくるというマーフィーの法則じみた現象があり、それがかなりの分量になったため改訂を決心、
折角やるならとかなりの大改造を施して増補改訂版の頒布決定とあいなりました。

事実誤認の訂正などはもちろん、新規に確認できた資料や、それに伴ってのちょっとした仮説など、様々な内容が追加されています。
お蔭様でページ数は前回の72ページからおおよそ1.94倍の140ページ!
(間に補遺を計16ページ出していますが、それと併せて計算してもおよそ1.59倍!)
……か、あるいはそれ以上のページ数になることが既に決定しています。

前回から進歩、変化した具体的な内容についてちょっと説明。

 ◎前回は基本的に「使わない」と宣言した日本国外の資料をふんだんに使用。


 ◎ヴィイの元ネタのひとつ(かもしれない)「疥癬かきの」ブニャク。
  前回は遊牧民の長(ハーン)の一人が伝説化したものである、としましたが、
  彼のもうひとつの姿とは――?


 ◎魔物ヴィイは実は古代スラヴの神が元になっている、と言う説もあるようです。
  ヴェレスやペルーンなどの大物から、ちょっとマイナーなアイツまで、
  様々な神がヴィイと結び付けられました。
  果たして本当なのか、いくつかの説を紹介・検証しています。


 ◎ヴィイという名はウクライナ語の「まつ毛」に由来するのが定説とされて
  いますが、今回その反証となる(かもしれない)例を見つけました。
  はたして本当の由来は?


などなど。


先に書いたとおり、前回は本人の能力上の制約から一切使わなかったロシア語論文を中心に、様々な資料を当たっています。
と、いっても、当方ロシア語はマルデダメなので、錚々たるメンバーにお手伝いいただいております。
ありがとうございます。ビバ他力本願!
また、近所の図書館にない資料も各方面の暗躍により収集できました、これまた大感謝。

というわけで、詳細が決まったら(原稿を書き上げて印刷に回したら)
再びこちらで告知いたします。
おそらく8月頃の頒布になるかと思います。
宜しくお願いいたします。


……何故この日にそんな告知をするかと言いますと。
万が一原稿が間に合わず本を出せなかったとしても「じ、実は四月馬鹿でした〜」との言い訳が可能だからです。
その程度の気持ちでぬるく見守っていてください。

【追記あり】「ホマの話を君は聞いたかい?」 〜コミティアありがとうございました・自家通販始めました

【H25.08.13追記】
残部僅少となったので一旦通販を終了させていただきます、申し訳ありません。
再販の際はこちらにてお知らせいたします。よろしくお願いいたします。


【以上追記、以下本文】


コミティア104にて当スペースにお立ち寄りいただいた皆様、どうもありがとうございました。
お蔭様を持ちまして、『ヴィイ調査ノート』、完売となり……ませんでした。
なお、『ヴィイ調査ノート』の詳細は前エントリをご覧願います。

ということで、まだ在庫があることもあり、またご希望の方もいらっしゃることもあり、『ヴィイ調査ノート』通販をさせていただこうと思います。
ただし、その手の大手のお店に置いていただけるようなものでもなし、申し訳ありませんが家内制手工業のジカ通販とさせて頂きます。
自家通販かつ直通販。


手順としては以下のとおりです。

 1:メールにて御連絡頂く
 2:事務的なやり取りなど
 3:不思議な力により本が届く


まずはメールタイトルを"『ヴィイ調査ノート』通販希望"とし、希望冊数を記載の上、
jまichiまnsまai跡gmail.comの跡を@に変えたアドレスに御連絡ください。
(追記:ちょっと諸都合によりクイズ形式にしました。 ヒント:まぬけ)

 *なお、メール送付後一週間経過しても返信がない場合、
  フィルター等で届いていない可能性がありますので、
  お手数ですがこの記事にコメントを頂きたく、よろしくお願いいたします。
  メールをうまく送れない場合もコメントを下さい。

基本的な料金は、諸々の代金(梱包、送料等)込みで一冊900円とさせていただきます。
ご了承ください。(5冊以上ご注文を頂いた場合は、別途ご相談させてください)
また、振込手数料が発生する場合はご負担をお願いしたく、よろしくお願いいたします。

なお、世を忍ぶ仮の本業などもあるため、事務作業や返信には御連絡を頂いてから多少時間がかかる予定です。
気を長くしてお待ちいただければ、と思います。

ご不明な点がありましたらお気軽にご相談ください。

「そうら、其處にをるぞ!」 〜ヴィイの話に関するお知らせ

と、いうわけで前回予告した通り、同人誌を作ったのでコミティアにサークル参加します。
と言っても友人のサークル「しかま家」さんに間借りですが。


(多分)空前(おそらく)絶後、一冊丸ごとヴィイの本!
謎のロシア妖怪ヴィイについて、日本一のヴィイ男(自称)こと俺がいろいろ調べたのでまとめたヨ、という代物。


速水螺旋人さんの「靴ずれ戦線」のおかげ様もあって、今ロシア妖怪が局地的にキている! ということでビッグなウェーブに乗った感もなくはないですが、ここ10年くらい断続的にボチボチ調べてたことをいい加減そろそろなにがしかひとまとめにしておこうかな、と思った次第でした。


ヴィイについては少なくとも日本では「いちばんくわしい」本になったと勝手に思っておりますので、早く誰かに「ただし!その同人誌は日本じゃあ二番目だ」と言ってほしいわけです。


これまでのblog記事を当社比280%ぐらい充実させてヴィイの正体を探ってみる1部、完全書き下ろしで日本でのヴィイの広がりを概観する2,3部という構成。
2,3部は各方面からの引用画像がたっぷりなのでネットだと色々めんどk……というわけで同人誌で出す所存。

なんと表紙はあの熊倉隆敏さんに描いて頂きました。表紙だけで2,3冊は買う価値あり!



◎日  時 :2013年5月5日(日)11:00〜16:00
◎場  所 :東京ビッグサイト 東4,5,6ホール
◎イベント :コミティア104
◎サークル :しかま家
◎スペース :の45b

◎タイトル :「ヴィイ調査ノート」
◎規  格 :A5・72ページ
◎末端価格 :日本円にしておよそ700円


というわけで、現地で「blog記事を見た」と言って下さった方は、10冊買うと11冊目無料キャンペーンを実施します。


……あ、通販とかしてほしい奇特な人がいたら考えますよ。

「お化けは死なない」ことについて

 妖怪はいるだろうか?
 ――いる、と思ったあなたも、いない、と思ったあなたも、何をもって「妖怪」と判断したのだろう。
我々は何となく妖怪というものを知った気になり、他人との会話でもお互いに意味を確認しあうことなく使い、それで意味が通じている。
しかし妖怪などというものは一般的には非実在とされており、その辺りにわかりやすい形で転がっているわけでもないため、アレやソレがそうだと指差してお互い確認し合うことは難しい。更には、様々な姿・性質のものがおり、そのバリエーションは実在の動物の比ではない(例えば目の数だけ考えても0から100までいるのだ)ため、これこれこういうものが妖怪だ、と一口に説明するのもまた難しい。では我々が妖怪を理解・認識するのは何によるのだろうか。何をもって妖怪というカテゴリを知り、そこに入れるものと入れないものを決定していくのか。
 それはおそらく、妖怪図鑑的なものである。「的なもの」と表現したのは、ここで指すものが必ずしも図鑑そのものとは限らないからだ。たとえば妖怪の出てくる漫画やアニメでもよい。とにかく見慣れぬ形をした奴等が何種類もいて、それらが全て釤妖怪釤とひとくくりにされているものである。その「妖怪図鑑的なもの」には多くの場合、図像と説明がセットで付されることとなる。何かの形で見た河童や天狗たちと一緒に奇妙な奴等が並んでいる。その状態を見て我々は、こうした様々な姿・性質を持った何か(そう、そいつらが生物かどうかすらも曖昧なのだ)が河童や天狗と同一カテゴリに属するものであり、妖怪と呼ばれる存在であると認識する。そのようにして私たちの頭の中にもだんだんと自分自身の妖怪図鑑=「妖怪データベース」が構築されていくのだ。
 作る側にも享受する側にもおぼろげな共同イメージがあって、それを引用して個人の妖怪データベースを構築していく。そしてそのデータベースに当てはまるものを次々と個人の妖怪データベースに取り入れていき、場合によっては自分のデータベース内部の情報を他に伝達する形で再生産する。妖怪を「○○である」と定義することはできないのはこのためである。
 しかし、自らのデータベースに登録されている妖怪たちから外延的に考えることでおぼろげながら見えてくる妖怪の特徴はある。たとえば「存在しないが昔は信じられていた」「妙な姿をし、不思議な現象を起こす」「誰かの作り話」ということ。しかし、これらは正確とは言えない。誤解、とは言えないまでも、妖怪を理解するにはある種の不足があると言える。妖怪の発生と定着のモデルケースを考えることで、いったい何が不足であるのか、を考えていきたいと思う。
 妖怪という存在が生み出される原因のうち最も単純なもののひとつは、「ある種の不可解な現象が発生し、その原因を設定したいという欲望が生じたため」である。例えば、川辺で誰もいないのに小豆を洗うような音が聞こえたとき、その音は小豆洗いの仕業、と設定することで一応の安心を得る。怪現象を起こす主体としての妖怪である。その設定が個人レベルではなく共同体レベルで認められた時、その妖怪は共同体に定着し、伝承として残っていくこととなる。その後別の者が同様の、あるいは異なった体験をし、それも同一の妖怪の仕業とされることにより、その伝承は共同体内部で強化されていく。先の小豆洗いの例で言うならば、同じ川辺で誰もいない夜中に歌を聞いたと感じた時、その歌も同じ小豆洗いの仕業とされれば、小豆洗いはやはり存在する、そして小豆を洗うだけでなく歌を歌うものなのだ、と理解される。
 上に出した小豆洗いの例のように個人から共同体という社会に吸い上げられるだけでなく、ある伝承を知った者が、伝承と同一の現象を体験したと感じてしまうこともあっただろう。小豆洗いの伝承を聴いて育った子供は、伝承される川のほとりを通った時に小豆を洗う音やその歌が聞こえないかとおびえ、あるいはそれを幻聴する。その事実がまた妖怪の存在を保証する。こうして妖怪は個人と社会を往還しながら強化されていくのだ。
 ここまでのモデルケースでは、少なくとも個人の体験中では不可解な現象は発生し、社会も現象の存在を許容している。また、妖怪そのものの存在も個人的体験・社会的承認を得ていることになっている。
 そういう意味では、妖怪はその時点では「実在」している。では、何者かによって創作された妖怪はどうだろうか。
 創作の妖怪は、当然のことではあるが、既にある妖怪、つまり「奇妙な現象の原因」を模して作られる。そのため、架空の妖怪にはその妖怪が起こす「奇妙な現象」が付いて回ることとなる。そして、その創作された妖怪が起こす現象が実際に観測された(あるいは過去現在未来のいずれかで観測されうると考えられた)時、妖怪は創作の域を超えて根付くこととなる。過去に観測されうるとはわかりにくい表現だが、換言すれば「昔はそういうことがあり得たかもしれない」との意味である。同じような伝説が全く離れた地域で「そこにあったこと」として根付いていることを連想してもらえばわかりやすいだろうか。このとき、「実在する/した」妖怪にとって創作者の存在は邪魔な情報になるため、意識されなくなる。特定の創作者が意識されれば、それはあくまで特定の個人の創意から出た虚構の存在、作り話として「実在」し得ないものと理解されてしまうためである。
 創作者の存在が意識から消え、現実世界において観測される/され得ると考えられた瞬間こそが、創作物が特定の個人の創作を超えて現実に根付いた瞬間である。こうした現象は、ある共同体Aに属する妖怪が別の共同体Bに(例えばAからBにやってきた個人により)持ち込まれた時も適用される。個人のもたらした妖怪が実在に至った時、個人の情報、創作や伝播の痕跡は隠蔽されるのである。こうして現実と創作の間でも妖怪の往還運動が発生し、強化・発達していく。
 ここまで、体験をベースとした妖怪の誕生と成長を見てきた。そこに先に挙げた妖怪図鑑が登場することで、妖怪の誕生・成長は大きな変化を起こすこととなる。
 妖怪図鑑の大きな特徴は、多くの場合図像と説明がセットであること、および全ての妖怪が並列に配置されていることである。
 体験をベースとした、もしくはそれを模した妖怪には必ずしも視覚的イメージ=外見があるとは限らないが、外見があるモノについては奇妙な姿をしている場合が多い。ひとつは奇妙な姿の目撃自体が怪現象であるため、奇妙な姿をしたものがすなわち妖怪と扱われたためである。また、怪異な現象を起こすものはその現象にふさわしい姿をしているだろう、という想像もあろうか。そしてもうひとつ大きな理由があるが、これは後述する。
 ともあれ、図鑑化することによって、それまで姿がなかった妖怪にも、前述のような奇妙な姿を持つものに倣った絵が付されるようになる。
また、奇妙な外見を持つ妖怪を集めた絵巻などが図鑑に先行して作られていたと考えられるが、そこでは伝承される妖怪たちの視覚的な怪しさを模して作り出された、絵のみで物語(=彼らが起こす怪現象)のない妖怪たちが誕生していた。それらは伝承の妖怪以上に奇妙な外見を強調されて描かれることが多かったが、これはそうでなければ絵としてのインパクトがなく、絵巻にのみ登場する妖怪が(伝承の妖怪たちに連なる)「奇妙なもの」であることが伝わらない、ということによるだろう。このことは図像のみ、あるいは図像が中心で説明が殆どないものにとって特に重要な理由である。
 そうした妖怪たちも図鑑に載るにあたって、他の妖怪たちと並列にする必要性から物語を与えられ、あたかも実在する/した妖怪のように扱われる。
 妖怪図鑑の発生と定着によって、妖怪は図像と物語のセットで捉えられるようになった。片方しかないものにはもう片方が付け加えられ、あたかも昔から「その伝承が実在して」「その姿と思われていた」かのように認識されはじめたのである。片方がもう片方に影響を与え、変化させることも少なからずあっただろう。図像/物語の往還によっても妖怪は変容してきたのである。
 さて。
 個人の妄想や錯覚などの主観、あるいは虚構や創作であったものが、その枠を越えて発展・成長し、妖怪となった時なにが起こるのか。
 民俗学の知見によれば、妖怪とは境界にいるものである。自分のいる世界と、その外側である得体の知れぬ世界・異界が分かれる線が境界である。そして橋、辻、村境などの物理的な境界・黄昏時などの時間的な境界は上記のような象徴的な境界でもあり、そこに妖怪は現れるとされている。
 一方でここまで見てきたとおり、妖怪は個人/社会、創作/現実、図像/物語、の境界に存在するものであり、二者間の往還運動により成長するものである。
 そしてもう一つ、妖怪が存在する大きな境界がある。実在/非実在である。創作/現実と似ているがもう少し大きい括りであり、つまり妖怪はすべて虚構かどうか、ということでもある。
 先に書いたように、現在、妖怪は非実在とする向きが大勢を占めているため、妖怪図鑑に掲載されることはすなわちある意味では非実在を保証されることでもある。しかし一方で妖怪図鑑に掲載されることは、(たとえそれが無知蒙昧で野蛮な前近代人にとってであれ)かつては誰かがその現象を体験した、そしてその現象を承認した社会があったということとも理解される。誰かの作り話ではなく誰もが感じ得る現象であったというある種の証明である。そうした意識が、何かの怪奇現象を体験したときに「妖怪の仕業では?」と一瞬でも考え、自らの妖怪データベースを検索する行為を生む。境界にいるということは、どちらにも属することができる、ということでもある。たとえ近代的意識が妖怪を非実在の側に追いやっても、そうした回路を通じてふとした瞬間に実在の方に染み出してくるのである。
 これは他の境界にも当てはまる。たとえば図像が失われても、物語が残ればそこからいつか妖怪図鑑に戻るに当たり新たな図像が考案される。たとえば共同体が崩壊しても個人のデータベースに残り、残った妖怪たちが妖怪図鑑に共有されれば共同体の外にもそれが根付くことになる。たとえばある妖怪が誰かの創作であると明らかになっても、それが既に「妖怪」として共有されていれば創作のはずの妖怪が引き起こす現象に出会う人もあらわれ、その妖怪のイメージを新たにするだろう。そして境界の両側を往還するほどその妖怪の周辺イメージは強固となっていくのだ。
 境界の存在である限り、片側が抑圧されてももう片側で命を長らえ、抑圧が緩めば何事もなかったかのようにいつか再び顔を出す。
 「楽しいな 楽しいな お化けは死なない」
 日本一有名な妖怪アニメは、その原作者が主題歌を作詞している。現代日本における妖怪の姿を決定づけたその人の言葉は、私が多言を弄して読み解いたことなどとっくにお見通しだとばかりに響くのであった。




2010年12月5日の文学フリマにて頒布した『b1228 vol.1 fictional』に寄稿したもの。
id:b1228 あたり参照。
ちなみに当blogの参加時の記事はこれ。id:anachrism:20101123

しばらく再販などの予定はないというので、エイヤッと公開してしまいました。
元のルールが注釈禁止だったので注釈はつけないことにします。
元のルールでは小説と評論の二本立てだったのですが、小説は公開予定ありません。

内容としてはこのあたりの進化系ですね。 id:anachrism:20090307


……ヴィイの話はまたそのうち。

「瞼を持ち上げて呉れぇ、見えないわい!」 〜ヴィイの話 2

今回は前回の続きで、ヴィイのお話その2。

ちなみに今日、2/29は前回に出た聖人「聖カシヤーン」の記念日です。速水螺旋人さんの『靴ずれ戦線』やら大沢在昌さんの『魔物』あたりに出てきますので、興味ある方はご一読を。

というわけで今回も、基本的に本や論文を一部引っこ抜いてテキトーに要約し、【】で囲って私の無駄話、というスタイル。出典明記、自分の文章が主で引用が従、引用部分がどこかわかる明らかに、とかそういう引用ルールぶっちぎりですが、まぁ雰囲気でひとつ。

0.前回のあらすじ

【さて、前回はロシアの作家ゴーゴリの作品「ヴィイ」に登場する妖怪(?)ヴィイの姿には元ネタがあると思われる、というお話をしました。ノーム(地下の小人)たちの親玉で、地面まで届くような長いまぶたを持ち、一人では目が開けられないヴィイ
ロシア・ウクライナには視線に恐ろしい力を持つ悪魔的存在が伝わっており、その多くは長いまぶたやまつ毛や眉毛を持つために一人では目を開けられません。(熊手で目を開けさせるパターンが多いようですが、ヴィイにはその属性は継承されていません)。
また彼らのうちいくらかは地下や地獄にいる、といわれていますが、ヴィイがノームの親玉であり、登場時には全身が土にまみれている=地下から出てきたことを連想させるのは、こうした伝承を踏まえてのことである可能性があります。
しかし、ヴィイという存在の特徴はそれだけではありません。
今回はストーリーのうちヴィイにかかわる部分やロシアの伝承などからヴィイの伝承に迫ってみようと思います。】

1.似たようなストーリー

【まず、前回もご紹介したとおり、「ヴィイ」のストーリーでは魔女が話の発端となります。
(ストーリー超約訳:主人公の若者ホマーが死んだ魔女のため教会で三日間祈祷をする羽目になり、毎晩棺から出てくる魔女に襲われる。円を描いてその中で呪文を唱えていると魔女とその仲間の化物は円の中を見ることも入ることもできないので二日目まではことなきを得たが、三日目に魔女の呼ばれたヴィイが円の中をのぞき、結界を破ってホマーにとびかかった)】

諫早勇一ゴーゴリの『ヴィイ』の材源をめぐって」*1 や、鈴木晶「「すべての女は魔女である」ことについて」*2によれば、ロシア、ウクライナフォークロアには「死んだ魔女のために三晩教会で祈祷し、魔女が深夜に棺から出て、他の魔物および「最年長の魔物(魔女)」あるいは「魔界の王」の助けを借りて男を攻撃する」というほぼそのままの話があるようです。
そうした話では、助言者から授けられた知恵のおかげなどで難を逃れるようですが、ヴィイでは主人公であるホマーは助かりませんでした。
フォークロアでは最年長の魔物・魔女や魔界の王であったものをゴーゴリヴィイとしたことについて。実際にそうした伝承があれば面白いのですが、見つかっていないようです。前回挙げた「イワン・ブィコヴィチ」には魔女の夫が地下に住み、眉毛とまつ毛で目を開けられないとありますので、このあたりと結びつけたのでしょうか?】

2.ノーム

ゴーゴリは地下の小人であるノームの親玉としてヴィイを設定しましたが、そもそもロシアにノームは存在するのか。ドイツ語・ロシア語ではグノム、英語ではノームのようですが、面倒なので引用で別の表現している場合以外はノームで統一。】
そもそもロシア・ウクライナにノームは存在しない、というのが大方の見方だったようです。
理由として、スラヴ人にとって大地が特別な神格だったためである、ということが推測されています。*3
大地〜母なる湿潤の大地〜(マーチ=スィラー ゼムリャー)はキリスト教以前のスラヴ人にとっては最大の崇拝対象であり、その大地信仰はキリスト教時代になっても根強く残ったようです。
たとえば伝説等で、勇士たちが龍を撃ち、龍の血にまみれそうな危険に直面した際、(潤える母なる)大地に四方に割れて血を飲み干すよう願うと、大地は割れて血の流れを飲み込む、という描写がみられるようです。*4によれば、「地中の宝を守る醜怪な小鬼」がウクライナフォークロアにも知られてはいる、とのこと。しかしいずれにせよ、その名称はウクライナ語で<土鬼>を意味するもので、「グノム」がウクライナで知られた名称ではなかったことは確かのようです。
では、ノームがほぼ知られていないウクライナの伝説とされるヴィイは、どういう経緯でノームの親玉とされたのか。
まずノームはロマン主義文学で流行したドイツ的な妖怪であり、ゴーゴリもその影響を受けていたのではないか、という理由が考えられます。*5  たとえばゴーゴリの「ヴィイ」以前の作品でも比喩としてグノムが登場していますが、それらはロマン主義文学の影響であり、ヴィイがノームの親玉という設定もそこから着想したのであろう、ということです。
また、ロマン主義文学の中でも特にヴィイの材源となったのはドイツの作家フーケーの1811年の作品『ウンディーネ』(水妖記)ではないか、ともされます。*6
ウンディーネ』の第4章には小柄で土色の顔で大きな鼻を持ったグノム(ロシア語訳、ドイツ語原作ではコボルド)の首領、金属の塵埃をかぶった長い指で騎士を指さすグノムたちが登場するのですが、これがヴィイのイメージに大きな影響を与えたのではないか、とのこと。
ちなみに『ヴィイ』の話の中には、地面が海のようになりその中で水精(ルサールカ)が泳いでいるのが見えるというシーンがありますが、『ウンディーネ』には地中が透けてコボルトたちの遊んでいる姿が見えるシーンがあり、ここにも類似が見られます。
ウンディーネ』のロシア語訳は1837年刊行(第3章までの発表が1835年)であり、「ヴィイ」発表は1835年、執筆は1834年と予想されるため、『ヴィイ』の元ネタが『ウンディーネ』というのは若干矛盾しますが、訳者ジュコフスキイとゴーゴリには交友関係があったため、刊行以前に見た可能性もある、とのこと。
一方で諫早氏の前掲論文では、ヴィイは本当にノームなのか、という疑問も呈されています。
一般的なノームのイメージは「地中の宝石や貴金属などを守る小人で、皺だらけの顔と長いひげをもつ腰のまがった老人」(諫早前掲)といったところです。
こうして見るとヴィイのノームとの共通点は土にまみれた全身≒地中を連想させること、ずんぐり≒小さい、くらいですが、ヴィイは最初の版では巨人であったものが後に小人に修正されており、ゴーゴリヴィイに対して明確な【特にノームと重なるような】イメージを持っていなかったのではないか、と考えられます。
諫早氏は地の精というグノムの外来的イメージにゴーゴリの想像力を働かせてできたのがヴィイであると結論付け、そこにまぶたなどフォークロアのモチーフ、『ウンディーネ』のグノムの首領のイメージが介在する余地がある、としています。
またゴーゴリの他の作品で、大地と死者(祖先の悪霊)の結びつきを想起させるものがあり、地に根付いた祖先の悪霊、とくにゴーゴリ自身の死んだ父のイメージやゴーゴリの個人的心理的要素がヴィイに影響しているのではないか、ともしています。

3.その他諸々

【ノームがなんか妙に長かったので、以下簡単に。ヴィイはまぶたが長くて一人では目を開けられなかったわけですが、先述のように、スラヴ・フォークロアにおいて類似の奴等は、どちらかと言えば濃くて長いまつ毛や眉毛によって目を開けられない方が一般的のようです。】
伊東氏の前掲論文によれば、スラヴ人の俗信では身体的異常は悪魔的存在の属性と考えられ、濃すぎる体毛もそのひとつだそうです。例えば<濃い眉毛>、<鼻を覆うほど長く伸びた眉毛>などが挙げられ、これらは例えば夢魔、魔女あるいは妖術師、人狼のしるしとされました。南スラヴではこのような眉を持つ目は「狼の目」と呼ばれ、「邪視」をもたらすものともされたとか。以前に挙げたヴィイと似た奴等、視線で街を滅ぼしたりする奴等を彷彿とさせます。
ヴィイを見るに、ゴーゴリはそうしたスラヴの悪魔的存在について知識があった可能性が高いと思われますが、では何故フォークロアにあるように「まつ毛」や「眉毛」でなく、あえてヴィイの「まぶた」を長くしたのでしょうか。
ここには、「ヴィイ」という単語が何を意味するのか、という問題も関係してきます。
これまでの研究によれば、「ヴィイ」はウクライナ語でまつ毛を指す女性名詞「ヴィヤ」を男性形に変えたゴーゴリの造語の可能性が高いようです。これはここまでに出た「まつ毛の長い悪魔的存在」というフォークロアを踏まえてのことと考えられます。
更に、ウクライナ語でまぶたを表す「ヴィーコ」「ポヴィーカ」は「ヴィヤ」「ヴィイ」と音韻の上での連想が働くため、まぶたを長くした、という風にも考えられるようです。
【大雑把に整理すると、長いまつ毛や眉毛を持つという悪魔的存在を元に作られたと思しき妖怪のまぶたが長くて名前が「まつ毛」の変形、ただし「まぶた」とも音が似ている。ややこしい。】

さて、では結局なぜゴーゴリは「ヴィイ」という名前にしたのか。
伊東氏は、音韻的連想をその重要な理由として挙げています。たとえばヴィイ登場の場面では「ヴ」という音で始まる単語*7が並んでいます。「ヴィイ」はこうした音の連続を意識していたようです。特にヴィーヂェチ(見る)―ヴェーコ(まぶた)―ヴィイという音を念頭に置いていたのではないか、というのが伊東氏の見解です。ヴィイのまぶたが長いのも、ロシア語の眉毛(プロヴィ)やまつ毛(レスニツィ)では上記のような音の系列に加われないからではないか、とのこと。
まぶたの長い妖怪のウクライナ語での語源が「まつ毛」でも、ロシア人読者にとってはあくまで不可解な音表象に過ぎず、音のシンボルとしての機能の方が重要であったのであろう、と考えられます。

4.長いしわかりづらい、まとめろ。

【はい。】
【えー、前回書いたように、スラヴの民話にはヴィイそのものと似た妖怪(眉毛やまつ毛やまぶたが長いせいで眼をなかなか開けられないけど目を開けてこっちを見られたら大変)はいますし、ヴィイのストーリー全体と似た話も存在しますが、それらを結び付けたというのは今のところゴーゴリの独創と思われます。】
【一方で、ゴーゴリヴィイをノームの親玉、としていますが、スラヴ方面ではノームは存在しないか、少なくともマイナーのようです。おそらくドイツ・ロマン主義文学、特にフーケーの『水妖記』あたりからイメージを持ってきたのではないでしょうか。しかし、ヴィイはあんまりノームらしくなく、ノームを元にゴーゴリの個人的想像力(フォークロアとか、フーケーとか、死者との結びつきとか)を乗っけたものじゃないかと思われます。】
【で、ヴィイウクライナ語の「まつ毛」の変化形みたいだけど、姿としてはまぶたが長い。元ネタになった悪魔的存在は眉毛かまつ毛が長い。ややこしいけど、これはロシア語で文章を書いたときに「ヴ」で始まる音が重なるように考えた結果みたいですよ。】

【結局「見えないものを見破る」というヴィイの能力は元ネタがあるのかないのかは今のところわからずじまいでした。そこが要だと思うのに、残念。】

【次回予告! ここまでで拾い損ねたネタがあったらおまけ的に書くかもしれないよ! あと、描かれたヴィイ(主に水木しげる)について語るかもしれないよ!】

*1: 『人文科学論集』第15号 信州大学人文学部、1981

*2:ユリイカ』第16巻第8号 青土社1984) http://www.shosbar.com/works/crit.essays/subetenoonnnaha.html 

*3:鈴木前掲

*4:アファナーシェフ「スラヴ諸族の詩的自然観」(1865-)))またスミルノーフの「古代ロシアの聴聞僧」(1913)では1901年の報告でもペチョーラ河畔の分離派教徒は正教の司祭に罪を告解せず、「神様と潤える大地に告白する」と答えたとのこと。大地はあくまでも聖なるもので大地そのものが人格化されていたから下級霊の住める場所ではなかった、と考えられています。 一方で伊東一郎「《ヴィイ》――イメージと名称の起源」((『ヨーロッパ文学研究』第32号 早稲田大学文学部、1984

*5:伊東前掲

*6:伊東前掲・鈴木前掲よりカーリンスキィの説

*7:ヴォルク(狼)、ヴダリー(遠くに)、ヴィチ(吠える)、ヴェーコ(まぶた)、ヴィーヂェチ(見る)など

((ヴィヰをつれて來い!ヴィヰを迎へに行け!)) 〜ヴィイの話 1

今回は前回からの予告通り、ヴィイのお話その1。
……ようやっと、って感じですが。
例によってなんもかんもテキトー極まりないです。テキトーな引用とテキトーな解釈で本当に嘘ばっかりです。マジで本当じゃないですよ。嘘だと思うんなら一つ信じてみたらいかがでしょうか?
大体文中に出てくる日本語の参考文献読めば事足りる感じのヌル〜イ内容ですので、ひとつユル〜イ気持ちでお読みください。
あと同名の伺かのゴーストさんとは関係ありませんので間違って踏んだ方はひとつ戻るなり読むなりでヨロシクです。

0.そもそもヴィイって何ぞ

ヴィイとは一般民衆の想像力による所産である。小ロシア人の間でその名で呼ばれるのは侏儒の親玉のことで、その両目の瞼は地面にまで垂れている。この物語はそっくりそのまま民間の伝説である。わたしはこの言伝えに少しも手を加えまいとした。ほとんど耳にした通りの、素朴さのままに語るのである。」
ゴーゴリヴィイ」小平武訳より)

「ヴィヰとは、一般民衆の素晴らしい空想的創造物である。土精(グノームイ)(譯註―地下に埋藏される財寶を統御する醜い神々)の首魁で、瞼が長くのびて地面までもとゞく妖怪を、小ロシア人は((ヴィヰ))と呼んでをる。この物語は徹頭徹尾、民間の俗説である。わたしは一切それを改變することを欲せず、ほとんど聞いたとほりありのまゝにお話する次第である。」
(ゴオゴリ「ヴィヰ」平井肇訳より)

ロシアの文豪ゴーゴリの小説「ヴィイ」(Вий)に登場する妖怪だか悪魔だか何だかがヴィイです。上に引用したのはその冒頭。
この作品は1835年に発表された短編集『ミルゴロド』におさめられており、ロシアでは1967年・2010年と2度映画化され、一度は日本にも「妖婆 死棺の呪い」ないし「魔女伝説ヴィー」というタイトルで輸入されるなど、結構人気の作品。小説の日本語訳も上記2種の他、何種類か(確認できただけでもう2種類)あるようです。それと忘れちゃいけない我らが水木しげる御大がこれを元ネタに2回漫画を描いておりますし、ヴィイはキャラクターとして妖怪図鑑や鬼太郎などに登場させています。
さて、以下あらすじをざっくり紹介します。結末近くまで書くのでご注意。

ヴィイ あらすじ
 舞台は小ロシア(=ウクライナ)。ホマーという神学生は夏休みの帰省の途上、老婆の魔女に襲われるも、悪魔祓いの呪文でこれを撃退。逆に散々に老婆を打ち据えると、息絶えて倒れた老婆はいつの間にか美女に変わっていた。
彼は学校に逃げ帰ったが、ある金持ちに呼ばれ、その金持ちの死んだ娘のために三晩の祈祷をする事になる。彼女はホマーが先日打ち据えた美しい魔女であった。
 最初の晩にホマーが祈りを捧げていると、娘の死体が起き上がり、彼に向かって来た。ホマーが自分の周りに環を書き、悪魔祓いの呪文を唱えると、死体は環の中は見られず、環の中に入ることも出来ない。最初の晩はそのまま助かった。次の晩には魔女は仲間の魔物を呼んだが、同じようにしてやり過ごした。三日目 の晩には魔女と多くの魔物たちがホマーの描いた環の周りに集まったが、彼を見つけることが出来ない。

以下再び引用。

ヴィイを連れて来い!ヴィイを迎えに行け!」死人の声が響き渡った。(中略)間もなく重い足音が聞こえてきて、教会中に響き渡った。ちらと横目で見る と、なにやらずんぐりとして、頑丈な、足が内側に曲がった人間が連れて来られるところだった。全身真っ黒な土にまみれている。筋張った、頑丈な木の根さながらの、土のこびりついた手足が目についた。絶えずつまずきながら、重い足取りで歩んでくる。ながあーい瞼が地面まで伸びていた。その顔が鉄であることに 気づいて、ホマーはぎょっとした。化物は両脇を抱えて連れてこられ、ホマーの立っている場所のすぐ真ん前に立った。
「おれの瞼をあげてくれ。見えない!」とヴィイが地下に籠るような声で言った。魔物どもが一斉に駆け寄って、瞼をあげようとした。《見るんじゃない!》――となにやら内心の声が哲学級生にささやいた。が、我慢できなくなって、見た。
「ここにいる!」とヴィイが叫んで、鉄の指をホマーに向けた。そこにいた限りの魔物がホマーに飛びかかった。
(小平武訳より)

ホマーは恐怖のあまり死んでしまいますが、魔物たちも一番鶏の声に気付かなかったため夜が明けてしまい、壁に貼りついてしまう、という、大雑把に言えばそんなお話。

……一部昔やってたサイトのコピペですがご了承ください。あと平井肇訳は打つのがめんどいんで略。ご希望あればそのうち。

ってなわけで、上記の引用から分かるように、
A.ウクライナの伝説
B.ノームの親玉
C.長いまぶたで、自分では目を開けられない
D.実際に伝説が存在します
E.まぶたを上げれば普通の魔物が見えないものを見通すことができる
という辺りがヴィイさんの主な特徴とされています。

しかし、今現在、 D.実際に伝説が存在します は研究者の皆様に否定的な見方をされ、ゴーゴリの創作だというのが定説となっている模様。ヴィイそのまんまの伝説と言うのは見当たらないようです。
しかし一方でよく探してみるとヴィイの元ネタ的な伝説はありそうな感じだそうで、今回は諸々から引用しながらそんな話をしてみようかと。
今回はスタイルを変えて、基本的に本や論文を一部引っこ抜いてテキトーに要約し、【】で囲って私の無駄話をくわえてみます。
ちなみに複数回の続きものにする予定なので、今回はヴィイ単体に近いもの、のお話。
ストーリーでヴィイにかかわる部分、あるいはヴィイと関連性のありそうな伝承なんかは、次回以降にまわすことにします。

1.ソロデヴィイ・ブニオ、早目、他

伊東一郎「《ヴィイ》――イメージと名称の起源」 (『ヨーロッパ文学研究』第32号 早稲田大学文学部、1984)によれば、スラヴ近辺には、一人で目が開けられない、あるいは目隠しをされているため普段は周りを見ることができない神話的存在が伝わっています。濃い眉毛と目に貼りついたまぶたを持つソロデヴィイ・ブニオ*1、目隠しをされている<早目>*2、巨大な眉毛と長いまつ毛を持つ老人*3などがその例です。彼らの目を開けるには熊手で持ち上げる、というパターンが多いようです。
【この目を開けるため熊手(特に鉄のくまで)で持ち上げるというパターンは後にもいくらか出てきますが、スラヴの方ではよく出てくるモチーフのようですね。ちなみに熊手と言っても、酉の市なんかの熊手とは多分またちょっと違うんじゃないかなぁ、と。私もあんまりイメージ湧きませんが。こんな感じなのかな?→】http://rodnovira.ucoz.ru/Bogi/viy2.jpg 


閉じられている目を開けると、ブニオは町や村を灰に変えて滅ぼし、<早目>は見たもの全てに火をつけてしまうのだとか。ちなみにこれらは夏の稲妻(モルガウカ)の擬人化である、という説もあるようです。
【ちなみにソロデヴィイヴィイは今回の話の主人公であるヴィイとは綴りが違います】
これらの伝承を「ヴィイ」として紹介している本もありますが*4、その記事の原典*5を当たると「ヴィイ」とは一切書かれていないようです。
また、ロシア民話「イワン・ブィコヴィチ」に登場する魔女の年老いた夫は、地下にいて長いまつ毛と濃い眉毛が顔にかぶさっており、十二人の大力無双の勇士が熊手でまつ毛と眉毛を持ち上げないと何も見ることができません。この魔女の夫とヴィイのイメージの類似は早くから指摘されてきたようです。熊手などで人に目を開けさせる、というモチーフは他にもロシア民話「ワシーリイ王子」の<獅子王>や白ロシア民話「プラズ・イリュシク」の皇帝プラジョルなどにも共通するようです。
【特に魔女の夫との関係が取り沙汰されるのは、地下にいるというイメージがよりヴィイと類似しているからでしょうか?】
逆に「イワン・ブィコヴィチ」の方が「ヴィイ」から影響を受けたものである、という仮説もあったようですが、スラヴ全体にモチーフが広がっていることから、この仮説は支持しがたい、というのが筆者の意見。
ちなみに上記のような「ヴィイの方が伝承より先」説が出てきたのは「ヴィイ」執筆以前に公刊されたフォークロア資料にはこうした存在について言及がなかったためだとか。
【「大工と鬼六」という話は北欧の昔話が明治時代に翻案されたものであるにもかかわらず、いつの間にかそれが土地に根付いた昔話のように語られてしまっている、という例もありますので。まぁあんまり関係ないですが。】


そんなわけで、属性と名称がヴィイと合致するものは今のところ伝承からは発見されていない、ただしヴィイの姿を彷彿とさせる悪魔的存在はウクライナを含めほとんど汎スラヴ的に知られておりゴーゴリは恐らく漠然とにせよそれらの知識を持っていただろう、というのが筆者の結論。

ちなみに、名前と属性が近いもので言えば、眼差しで人を殺す力を持つヴィラという女性の妖精が西・南スラヴに伝わってはいるものの、まつげや眉毛やまぶたで目が隠れているということもないようです。またヴィイは男性名詞ですが、男性のヴィラは存在せず、仮にヴィラが男性名詞となってもヴィレニャク、ヴィレニク等となってヴィイという形にはならない、意味としても「ヴィラに愛された人間の男」という意味なんだとか。

2.聖カシヤーン、ブニャク

【そんなわけで長らくこのソロデヴィイ・ブニオ他がヴィイの元ネタであろう、という説が主流だったんじゃないかと思う(というか、単に他にあんまり説が出てるのを見かけない)わけですが、10年ほどしてまた別の方面からの説が登場します。】
栗原成郎『ロシア民俗夜話』(丸善ライブラリー,1996)では、ヴィイに類似した伝承としてロシア正教の聖者であるカシヤーンが挙げられています。
聖人にはいずれも記念日がありますが、聖カシヤーンの記念日は2月29日、つまり4年に1回しか存在しないんだとか。聖カシヤーンはサタンの側についた、また貧者に無慈悲であったとされています。また別の伝承ではカシヤーンは農夫であり、聖者をも騙す詐欺師として語られています。いずれにせよ、ロシアの人々はこの聖者に否定的なイメージを持っているようです。
更に、カシヤーンは「彼に睨まれたものは全て死ぬ」「彼に睨まれた人間には大きな不幸が起こる」邪眼の持ち主だったともされます。ウクライナの伝説で彼はこう言われています。
「カシヤーンは膝に届くほどに長いまつ毛を垂らしていすの上にじっと座っている。その長いまつ毛のために彼はこの世界が見えない。うるう年の二月二十九日の朝に限って彼はまつ毛を上げて世界を見回し、その時彼に睨まれたものは滅びる。」カシヤーンの被害を避けるため、農民達は二月二十九日、特に日の出前は外出を避けたとか。他にも、彼が風を統御して疫病をもたらす、地獄の門番である、悪魔、悪鬼と深い関わりがある、などといった伝承が存在するそうです。ちなみに著者は、聖カシヤーンは冬そのものを象徴していると考えている模様。
【地獄=地下(地獄が地下じゃない可能性もないではないですが)にいて、目が開けられず、目を開けた時には災厄がもたらされる。なるほどヴィイに類似しています。】

また、ウクライナの伝承には「疥癬かきの」ブニャクという話があり、これまたカシヤーン・ヴィイと類似しています。
「ブニャクはまぶた(あるいは眉)が異常に長く、何かを見たいときには二人の人間が大熊手で彼のまぶたを持ち上げねばならなかった。彼の目で見られたものは全て死ぬ。ある日、自分の目を鏡で見たブニャクは恐ろしさの余り地の下へ転げ落ちた。地の下に落ちたブニャクは悪魔とすり替わった。」
【また熊手で持ち上げてもらうパターンです。】
ゴーゴリの「ヴィイ」には(同書ではヴィイが伝承か創作かは言及していませんでしたが)これらの伝承が影響を与えていたんではないかなー、というお話でした。

【「ブニャク」は先述の「ブニオ」さんと親戚でしょうか? ブニャクさんの綴りがわからないので何とも言えません。教えて詳しい方。】

3.で、結局何が言いたい訳?

【つまり、ヴィイという名前も、そのまんまの伝説もなさそうですが、いずれにせよ似たような話のパターンがいくつもあり、ヴィイがそれらのうちどれか、またはいくつもからイメージを借りてきているというのは恐らく確実なんじゃないかと。そのうち一つが聖人だってのは面白いですね。】


【ついでに蛇足。
ブニャクの話から思い出されるのがケルト神話に出てくる邪眼の持ち主、バロール(バラー、バラール)です。彼も邪眼と共に巨大なまぶたを持っており、これを開けるには熊手や滑車が必要でした。この邪眼に睨まれたものは命を落とすと言われていたそうです。そんな彼も最後は目を貫かれて(弓矢、石、鉄の棒などの説がある)殺されてしまいました。ちなみに邪眼は片目だけであり、もう片目については「普通だった」「元々片目だった」「後頭部についていた」と諸説あるようです。
邪眼・邪視についてはあまりに広く、深いので今のところ私の手には負えませんが、たびたび出てくる熊手で目を開ける、というのは、邪眼にある程度共通するモチーフなのでしょうか。】

【次回予告! ヴィイってノームの親玉って言ってるけど実際ロシアにノームとかいるの? 結局まつ毛なの眉毛なの瞼なの? ヴィイってどういう意味なのさ? などの疑問に答えたり答えなかったりするよ!】

*1:アファナーシェフ『スラヴ人の詩的自然観』第1巻(1865) ウクライナのポドリア地方の「ヴィイ」として紹介

*2:W.ラルストン『ロシア民衆の歌謡』(1872) こちらにも類例としてセルビアの「ヴィイ」が登場、ただし注2の本からの引用。地域をセルビアとしているのは誤解に基づく?

*3:同上

*4:注2・3参照

*5:『祖国雑記』1851年7月号の記事「ポドリアで発見されたスヴャトヴィトの偶像」、ポーランドクラクフの新聞『時』の記事を翻訳したもの

線外活動、もしくは線外興

ご無沙汰しております。
ここのところこちらの更新がすっかり滞っておりました。
ネタがないわけじゃないんですが、集めてまとめるだけの時間と能力がなく。

替わりに、と言っては何ですが、麻野嘉史名義で少々オフライン活動をしておりましたので、その宣伝をば。久々の更新が宣伝かよ!と言われると返す言葉が「申し訳ない」一択になってしまうのですが。

1.b1228本に参加

謎の秘密結社b1228の出す同人誌『b1228 vol.1 "Fictional"』に寄稿させて頂きました。
内容は以下のURL参照。
http://d.hatena.ne.jp/b1228/
自分は小説・評論およびインタビューの手伝い、で参加しております。
「Fictional」=現実をフィクション化する力が全体のテーマ。
自分は当然「妖怪について書いてくれ」と言われて妖怪について書きました。
各人がそれぞれ1つのテーマで小説・評論を書く、しかも注釈なし、というやや特異な形式ですが、それだけにそれぞれ個性が出て面白いものとなっております。
インタビューについては、その人の作品を知らない人にも単独で楽しめる内容になっている……んじゃないかと考えるのですが、どうでしょう。
"フィクション"という言葉からからそれぞれが選んだテーマも対象へのアプローチも全く異なるにも関わらず、読み進めて行くうちに個々の作品を超えて響き交わす何かを感じられる、と思います。

2.「異能鬼除録」原案・妖怪蘊蓄担当

しまざきみさえさん(http://misaeland.blog.so-net.ne.jp/)の製作している同人誌「異能鬼除録」(現在2巻刊行、以下続刊!……予定)に、原案兼妖怪蘊蓄として参加しております。
江戸時代一世を風靡した妖怪譚、稲生物怪録――をネタ元にした愉快な4コマ漫画です。コミティアなどで売っているので、良ければ是非買ってください。
稲生物怪録といえば、twitterにてひと夏、稲生物怪録を再現する、という企画のちょっとしたお手伝いもしていました。
稲生平太郎twiloghttp://twilog.org/heitaro_ino)など参照のこと。

3.陋巷に在り本「其の楽しみを改めず」に参加

酒見賢一陋巷に在り」の同人誌、などという守備範囲狭すぎな企画に参加しました。(http://misaeland.blog.so-net.ne.jp/2010-08-10)
陋巷に在り」4コマとか「陋巷に在り」コラムとか、他ではそうそう御目にかかれない酔狂にも程がある布陣の中で、自分は怪力乱神についてうだうだ語っています。
ネタバレアリアリなんで読み終わってない方は読まない方向でお願いします!
しまざきみさえさんのブースにて売ってたり売ってなかったりだけど大体コミティアでは売ってませんので欲しかったら事前に声をかけておくと無難。
ただしネタバレアリアリなんで読み終わってない方は読まない方向でお願いしま以下略!


まぁ、そんな感じオフラインでぼちぼちやったりやらなかったりしております。
次回の更新はいつになるかわかりませんが、ロシア妖怪ヴィイ(と水木しげる)について書く予定。予定は未定。

では、また逢う日まで